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特急あいづ号◆ヘッドマーク事典

特急あいづ号のヘッドマーク
特急あいづ号のヘッドマーク
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特急あいづ号のプチ・ストーリー

◆上野~会津若松 の特急として、485系を使用して運転された特急あいづ号。磐越西線を走る唯一の特急として長い間かたくななまでに細々と走り続けていた特急あいづ号。

1993年の東北新幹線東京乗り入れからは「特急ビバあいづ」として、郡山から会津若松・喜多方の特急に変更。後に一時期「あいづ」に名称が戻されたが、やがて快速に格下げ、「あいづライナー」となったが、時折臨時特急として運転され、ファンを喜ばせてくれた。

特急あいづ・ボンネット文字HM

特急あいづ・ボンネット文字ヘッドマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1968年10月1日
【HM引退】1982年11月14日
(翌日から南秋田運転所に移管)
【HM使用期間】14年1カ月

*追記* 2016年6月18日に仙センの485系国鉄色ラストランイベントで「特急あいづ号ヘッドマーク」&「あいづライナー(あかべぇ)マーク」を掲げて郡山~会津若松の往復運転を実施。翌19日のつばさ号マークでの運転を最後に485系原型車両の営業運転は終了した。

◆特急あいづ号のトレインマーク

特急あいづ号のヘッドマーク

特急あいづ号のヘッドマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1978年10月1日
【HM中断】1993年11月30日
【再登場】2002年12月1日
【HM引退】2003年9月30日
【HM使用期間】合計16年0か月

会津といえば磐梯山と猪苗代湖。国鉄時代から使用されてきた左上のトレインマークにもしっかりとそれらが描かれている。1993年、上野直通運転していた特急あいづ号の上野~郡山間が廃止されることになった時、短距離特急ビバあいづ号に変更。しかし、2002年に「特急あいづ」号に愛称を戻し復活。

ところがその翌年には快速列車に格下げになり、あいづライナーと呼ばれるようになった。2005年、福島県あいづデスティネーションキャンペーンにあわせて特急あいづ号が復活し、運転されることになった時、485系車両がリニューアルされ、トレインマークのデザインも新しいものになった(右)。ちなみに、右下の隅に描かれているのはそのキャンペーンのイメージキャラクター「あかべえ」だ。同じデザインで583系仕様の横長のトレインマークも存在した。

◆特急あいづ号「幻」のトレインマーク

「特急あいづ号のボンネット型先頭車」を思い浮かべることは難しくない。大宮の鉄道博物館にもその様子が展示されている。また、特急あいづ号のイラスト・ヘッドマークを思い浮かべることも容易だ。

特急あいづ・ボンネット幻のヘッドマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)

そのようなわけでボンネット型のイラストマークも普通に存在したかのような印象を抱きがちだが、実際に営業列車として実現したことはないようだ。それでも、いつでも製作できるように設計図面は準備されていたようで、最後までそれが実現しなかったことは残念だった。

◆特急あいづ号の画像


* 画像提供:YOMPAQ様 (無断使用・転載 厳禁です)
1992年、山形新幹線の開業を目前にした頃、上野駅到着間近の上り特急あいづ号。常磐線通勤型電車の103系が併走しているのが向こう側に見えている。この当時の特急あいづ号は 特急つばさ号と共通運用を組んでいたようで、485系国鉄カラーの長い編成を比較的遅い時期まで見ることが出来ていた特急のひとつだ。その編成の最後尾は耐寒仕様の1500番代先頭車だ。運転席上の2つの前照灯が一番の特徴、そして下のテールランプ周りも一般型とは違った形状だ。
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*画像提供:YOMPAQ様。無断使用・転載 厳禁

あかべぇ塗装の485系は2011年6月に国鉄特急色に塗装しなおされ、姿を消した。あかべぇ時代にも特急シンボルマークがそのまま使用されていたりして、形の上ではほぼ原形であったことからオールドファンには嬉しい車両だった。晩年は定期特急としてではなく、快速あいづライナーとして、また時には特急あいづ号として走った。 ちなみに2010年夏は7~9月に運転区間・上野~喜多方で数日運転され、全車指定席の設定だった。

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