特急富士号のプチストーリー
◆ 国鉄初の愛称付き列車となったビッグネーム、特急富士。1929年9月からこの愛称で運転されたが、戦争激化により1944年に姿を消し、17年半の愛称消滅期間があったが四国への列車として再登場。少々地味な存在になった特急富士号だったが、それでも当時の電車特急最長距離列車というタイトルホルダーだった。この列車は東海道新幹線が開業したことにより、在来線部分だけ特急ゆうなぎ号としてそのままのスジで残り、4年後に特急うずしお号に統合された。その1964年10月にブルートレイン、寝台特急富士号として愛称が転用され、最後の九州ブルトレとして有終の美を飾った。
◆戦前・戦後の特急富士号のテールマーク
【1929年9月15日改正】列車愛称を公募。同列車の愛称を「富士」に決定。
【1929年12月1日】テールマークの取り付け開始(FUJI)。設定当初のテールマークではヘボン式ローマ字表記が使用された。このマークが後に機関車の先頭を飾るヘッドマークのデザインとして採用されることとなる。
【1941年ごろ】テールマークの表記がHUZIに変更。これは戦争激化のさなかにあって当時の敵国となっていたアメリカのヘボン氏考案の表記法を嫌ったためと言われている。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【TM登場】1941年ごろ
【TM引退】1944年3月31日
【TM使用期間】2~3年
【1944年4月1日】戦争激化により運行中止。
17年半の愛称休眠期間。
151系昼行電車特急富士
【1961年10月1日改正】愛称復活。東京からの2往復中1往復が宇野・もう1往復は神戸という、別愛称で良さそうな複数設定だった。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1961年10月1日
【HM引退】1964年9月30日
(翌日から寝台特急富士)
【HM使用期間】3年0カ月
【1964年9月30日】特急「富士」廃止。寝台特急富士として第3の人生へ。