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特急あさま号のプチ・ストーリー
◆特急あさま号。 上野~長野・直江津を結ぶ特急として北陸(長野)新幹線が開業する直前の1997年9月末まで運転されていた。
特急白山と同じ方向への設定のため一つの系統の列車とみなされていたため、両方ともL特急として運転された。
当初は181系電車で補機が使えなかったため8両編成以上は組めなくて大きな壁が立ちはだかっていたが、189系、さらには489系が投入されてEF63との協調運転が実現し、長い編成も可能になった。

補機との協調運転による碓氷峠越えは見もののひとつだったが、あさま号の廃止と同時に信越本線の横川~軽井沢間の線路そのものが廃止、軽井沢~小諸間がしなの鉄道として生まれ変わった。
したがって、リバイバル運転(全区間)が物理的に不可能な列車の一つになった。
長野新幹線開通後の長野以北の区間は特急みのり号に引き継がれた。しかしながら、直通運転がなくなったことによる影響は大きく、すっかりローカル特急化して影が薄くなり、やがて快速くびき野号として格下げされて愛称消滅した。
◆特急あさま号のトレインマーク
昭和53年の、国鉄電車特急イラストマーク一斉スタートの時から掲げられているトレインマークは、列車の車窓からも見ることができた浅間山の噴煙が立ち上る姿を図案化したトレインマークだ。
【HM登場】1978年10月2日(第一期デザイン)
【HM引退】1997年9月30日(長野新幹線へ)
【HM使用期間】19年0か月
正方形に近い、貫通型用のヘッドマークでは、当然ながら文字の横幅が狭いものになっている。基本的なデザインは同じではあるものの、噴煙のなびき方もいくらか短めであることからも分かるように、左右から圧縮したような感じがしてならない。
ちなみに、車両については1978年10月の時点で189系と一部489系。翌1979年7月から1982年11月改正までは189系のみの使用だった。
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【HM登場】1985年3月14日
【HM休止】1986年11月1日
【HM再使用】1994年3月14日
【HM引退】1997年9月30日
(翌日から長野新幹線へ)
【HM使用期間】合計5年2カ月
※ 1979年3月には特急白山・特急はくたかにボンネット用マークが採用された。その時に同じ方面の特急あさまに導入されたと考えるのは自然だが、189系にボンネットはなく、489系を使用した期間が1979年6月まで(1985年3月に再登場)ということであまりにも短期間のため未採用に終わった可能性が高い。 なお、鉄道ファン1985年6月号の特集記事では1985年に初採用であるような言い回しがある。
あさま色ロゴマーク

在来線特急としての活躍の末期に至るまでの期間はモスグリーンとグレーの帯の、いわゆるあさま色が施されていたが、運転席下のサイド部分に専用車両であることを示す「■ASAMA■」という形のロゴタイプが表示されていた。
特急あさま号廃止後、この車両存続に対してロゴは消滅していたが、2015年2月に検査入場したN102編成に再び表示されるようになり、最後の数年ファンの目を楽しませてくれた。(2018年6月に除籍となった模様。)
◆特急あさま号の追記
特急あさま号の運転区間はすべて直流電化区間だが、特急白山の間合い使用による489系も運用に就いていたためあさま号でもその姿が見られた。ちなみに、以前特急あさま号が走っていた長野から北に向かう在来線区間は現在特急の走らない区間となっている。
1983年、上野駅はまだまだ東北・常磐・信越・高崎線方面への特急列車でかなりの賑わいを見せていた。到着した寝台特急とこれから出発するL特急といったシーンが日常のありふれた姿だった。あさま号もその主役の一角を担っていた。この写真でも、特急ゆうづると並んで「お疲れさん!」「いってきます!」そんな声が聞こえてきそうな気がする。
下方の写真は碓氷峠専用機関車EF63。特急白山号や特急そよかぜ号も同じだが、この機関車あってこそ特急あさま号を語れると言っても過言ではない。
今さら語るまでもないが、碓氷峠と言えばその昔「アプト式鉄道」が敷かれていたことで知られ、その当時は「特殊な歯車がついた機関車」でしか登れないほど急な勾配の区間だった。そして今でも有名なアイテムの一つが「峠の釜めし」である。おぎのやは今でもこの駅弁を販売しているので人気駅弁として知名度は相変わらず高い。
【特急あさま号覚書き】
181系時代のヘッドマークは、2種類の書体が存在。
1・通常の国鉄書体(田町電車区担当時代に作成)。
2・丸ゴシックをベースにした書体(長野運転所移管後に補充)である。
これらは489系ボンネット車にも共通で使用された。








