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新幹線あさま号のプチ・ストーリー
◆ 北陸新幹線の部分開業(通称:長野新幹線)により1997年10月に誕生した新幹線あさま号。翌年早々に開催された長野オリンピックに間に合わせての開業だった。東京~長野間ノンストップで最速79分というふれこみで「東京は長野だ」というキャッチフレーズがあった。
その後、様々な要因で80分に届かない時期が続いていたが、騒音問題に関連してボトルネックとなっていた上野~大宮間で最高時速130キロにスピードアップできることになり2021年3月13日改正で再び80分切りを達成した。
2014年3月15日のダイヤ改正からE7系が先行投入されて運用を開始して、従来の8両から12両編成へと大幅に長い編成になったことで、大量輸送も実現。時代は第2ステージへと完全に移行した。実際、2015年12月24日でE2系車両による定期列車の運行は終了し、臨時列車での使用も2017年3月31日で終了。
在来線時代には特急あさま号、臨時特急そよかぜ号が活躍していたが、その役割を現在の新幹線あさま号が一手に引き受けている。2015年の春からは北陸新幹線が長野~金沢間の延伸を果たし、「長野新幹線」という通称も過去のものとなったが、あさま号という愛称は従来通りの役割として存続。そして、金沢までの直通運転は、速達型「かがやき号」と、停車型「はくたか号」が活躍している。
◆新幹線あさま号のトレインマーク
E2系を使う列車は長野新幹線だけではなく、上越新幹線で活躍している「J編成」(過去には東北新幹線はやて号・やまびこ号・なすの号などでも)があるが、そちらは以前東北新幹線を主な活躍の場としていたため、リンゴのデザインを描いたマークが貼られている。そして、長野新幹線用(N編成)の方は風を図案化したマークが描かれている。あさま号と言えばこれ!と感じている人は少なくないだろう。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【ロゴマーク登場】1997年10月1日
【ロゴマーク引退】2017年3月31日
(この日でE2系の全運用を終了)
【ロゴマーク使用期間】19年6カ月
E2系、N編成とJ編成では車両そのものも微妙に異なるのだが、ただ単に、帯の色が「赤」と「ピンク」で異なっているとか、10両と8両の違いがあるということにとどまらず、窓の大きさが各座席に1つずつの小窓が並ぶタイプであるという点は大きな違いだろう。(J編成には1000番代が多く含まれるため、2列に1窓の大型窓になっているものが多い)
E2系N編成のラストを飾るかのように、特別なロゴマークが貼られていた。それまでのものと同様にそよかぜを図案化したもののようだが、カラフルさが失われて「E2」という形式ばかりが強調されるようで少々残念な気がしていたが、わずかな期間で終了した。
すでに新しくなったあさま号においてはE7系・W7系とも共通のロゴマークが使用される。もっとも、マークに添えられる「JR西日本」・「JR東日本」の両社の社名部分のみ異なっている。
こちらは番外編。E4系MAXのうちの数編成だけが交流60Hzの電気に対応しており、MAXあさまとして走ったことがあるという。ただそれは例外中の例外である。
◆新幹線あさま号の画像集
・東京駅に到着したばかりの、北陸(長野)新幹線あさま号の姿。となりには同じE2系新幹線電車の東北新幹線はやて号が並んでいた。E2系という点では同じだが、東北(はやて号など)で使用する1000番代は10両編成基本の50Hz専用車両であるのに対し、あさま号の0番代では8両編成で50Hz・60Hz切り替えができるようになっていた(軽井沢以北は60Hzのため)。また、この頃ははやて号はこまち号と、また同じE2系のやまびこ号はつばさ号と併結運転するスタイルだった。