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急行ちどり号のプチ・ストーリー
◆鳥取・米子・松江~広島を結ぶ陰陽連絡列車で木次線・芸備線を経由していた。愛称自体は1953年に誕生した臨時快速列車に採用されたところから始まっている。1955年には「夜行ちどり号」という、正式名に「夜行」の文字が入る、きわめて珍しい列車だった。C56牽引の客車列車としてスタートしたが、1959年に準急化と同時に気動車化、1966年には急行化し、2002年まで活躍していた。一時は4往復設定されるなど、大きな役割を担っていた時期もあった。
しかし、伯備線が陰陽連絡のメインルートとしての地位を確立するにつれて特急やくも号に利用客を奪われるようになり、急行ちどり号の重要度は薄れていった。最終的には区間短縮の上、急行みよし号に吸収される形で廃止された。
こちらの写真は米子駅のホーム上で出番を待っている急行ちどり号のヘッドマークとサボ。1987年当時、のどかなホーム上に無防備に置かれていたHMにときめき、大きさを実感しやすいようにと自分の靴を並べて撮影した一コマである。ちなみに私の靴は25.5㎝。
◆急行ちどり号のトレインマーク
この「ちどり」という愛称は松江城の別名「千鳥城」から採られたもの。とはいえ、松江城周辺に千鳥がたくさんいたということではなく、呼び名の由来ははっきりしていない。一説によると松江城に「千鳥破風(はふ)」と呼ばれる屋根の装飾があった可能性があるとのことだ。
つまり、ヘッドマークで描かれているものは列車名のイメージによるもので、実際の関連性は薄いようだ。
このデザインのヘッドマークには黄色い縁のものも存在した。
皆様へのお願い~もっと事典を充実させるために~
この列車のヘッドマーク・ロゴマーク類のデザインに関するさらなる情報を調査しています。
また、将来的には 急行ちどり号のトレイン・サボなども存在が確認出来たらご紹介する計画なので気長にお待ちいただければ幸いです。
なお、トレースを精密に行うには当然のことながら精細な画像が必要になります。このサイトは皆さんに無償で使っていただけるトレインマーク事典ですのでご協力いただけるなら皆さんの益になると確信しております。情報をご提供いただける方を募集しています。