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急行天北号◆ヘッドマーク&テールマーク事典

た行
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急行天北号のプチ・ストーリー

◆ 札幌~稚内を函館本線・宗谷本線・天北線経由で結んでいた急行天北号。1989年4月末で天北線が廃止されたためその役割を宗谷本線経由の宗谷号に譲ることになったが、それまでは天北線を走る唯一の優等列車として輝いていた。

天北号の歴史全体を通じてみるとキハ56系の印象が強いが、なかなか話題性ある存在だった。というのも徹底的な合理化の末に生まれた14系間合い使用時代の「寝台車付き昼行列車」時代は前代未聞の存在であったし、一般車から改造格上げされたキハ400系というのも興味深かった。

 キハ56急行天北

キハ22系で誕生し、キハ56系、14系客車、そしてキハ40系からの改造であるキハ400系を使用した“末期”まで、北海道の長距離急行のいろいろを味わえた、歴史を一人で語れる存在かもしれない。

*** 画像提供:タケちゃん様

◆急行天北号のトレインマーク

1985年から1988年にかけての約3年半の間、急行利尻号の間合い使用を含む14系客車が使用されていたことがあった。そのころはテールマークにイラスト・トレインマークが掲げられ、急行宗谷号と共に特急さながらの雰囲気を持つ急行として活躍していた。寝台車両が一部含まれていたことからグリーン車コンパートメントとして扱われたのもつかの間、後半は自由席として解放された。急行天北14系テールマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【テールマーク登場】1985年3月14日
【テールマーク引退】1988年11月2日
【テールマーク使用期間】3年7か月

その一方で円形ヘッドマークはディーゼル機関車に掲げられていた姿を思い浮かべがちだが、実際にはそうではない。客車時代にはこの円形マークは存在しなかったのだ。DD51(札幌~名寄)やDE10(名寄~稚内)がこれをつけて走ったらさぞかしカッコ良かっただろうと想像する人たちの気持ちはよくわかる。急行天北ヘッドマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1988年11月3日
【HM引退】1989年4月30日
(この日で天北線廃線)
【HM使用期間】179日

実際には、その客車時代から再び気動車化されたキハ400系時代のものである。急行サロベツ号や急行礼文号などもそうだが、一般的な円形トレインマークよりもひとまわり大型で、キハ400系の前面貫通扉の幅よりもかなり大きい直径のものだった。使用期間の短さが際立っており、半年にも満たない179日である。tenpoku400

*** 画像提供:急行つとむ2号様

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