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寝台急行天の川号のプチ・ストーリー
◆上野~秋田を結んでいた寝台急行。1963年6月1日に(上野~新潟の列車として)登場し、1985年3月14日まで定期列車として、臨時急行としては1994年まで活躍した。EF58+EF16の重連で三国峠(上越国境)を越えていたシーンは見ものだったが、後半はEF64-1000番代が軽々と超えるようになった。A寝台を2両連結して、急行ながらスペシャルな列車だった。
1976年9月の末に20系が投入される前までは付属編成を新潟で切り離す方式をとっていたが、20系化と同時に全編成が秋田まで直通するようになり、それまで本編成・付属編成に分かれていたA寝台車の2両が並んで連結されるようになったのは圧巻であった。ちなみに、急行に20系客車が立て続けに投入された3番目で、急行銀河、急行新星についでの投入だったが、これら3列車が、全車寝台の20系定期急行としてのすべてである。
◆急行天の川号のトレインマーク
残念ながら急行天の川に固有トレインマークは存在しなかったようだ。それで、ここでは20系時代に共通で使用されていた「急行マーク」だけをご紹介したい。
583系で企画列車として運転された臨時急行天の川にはイラストのトレインマークが貼り付けられていた。このイラストを見て思うのは、おそらく天体にはあまり詳しくない人がデザインしたのではないだろうか、ということ。そもそも天の川はこんな風に星がたくさん整列して川のようになっているのではない。
その点、元々同じものを意味する急行銀河のテールマークは秀逸で、抽象的でありながらも雰囲気がよく表れていた。ちなみに、このデザインをベースにして円形のヘッドマークが制作されてDD51の先頭を飾った臨時列車も運転されたことがあった。