⇒ 急行はまなす号のデータファイルはこちら
急行はまなす号のプチ・ストーリー
◆ 青森~札幌間を津軽海峡線・函館本線・室蘭本線・千歳線経由で結ぶ夜行急行列車として青函トンネルの営業開始時=1988年から運転されてきた急行はまなす号。2016年3月26日ダイヤ改正に先だって3月21日下り列車の運転をもって廃止となった。最終日(下り)のDD51は重連で運転され、ちょっとしたサプライズとなった。
多客期には5両もの増結を行なって運転されるなど、非常に利便性が高いことがじわじわと知られるようになった、いぶし銀の様な列車である。上り列車は札幌から室蘭方面への最終列車としての役割も兼ねていたため、廃止後は特急すずらん号がその筋で運転される。2012年3月のダイヤ改正で急行きたぐに号が臨時列車に格下げとなった後、はまなす号は最後の定期急行列車として約4年走り続けた。ちなみに、急行きたぐに号は2013年の年始を最後に運転実績がなく、事実上の廃止。
★はまなす号の車両が生き延びた!
去就が注目されていた急行はまなすの14系車両たちの中から4両が、「大井川鐡道」に譲渡され、SL用の客車として新天地を得たことが発表された。スハフ14・オハ14がそれぞれ2両ずつ移籍した。
また、東武鉄道・鬼怒川線で運行している『SL大樹』にオハ14 505(元ドリームカー)を連結することになった。SL大樹では、JR四国から移籍した14系客車(簡易リクライニングシート)を使用しているが、元ドリームカーのオハ14 505はキハ183系のグリーン車に使われていたフルリクライニングシートが転用されたもの。(ページ下方に画像あり)
◆急行はまなす号のトレインマーク
・・・・・・・・・・・
【HM登場】1988年3月
【HM引退】2016年3月
【HM使用期間】28年0か月
●赤いヘッドマークが主流。そして、白いマークの方は単なる色褪せではないかという意見もあるが、それにしては赤い部分だけが色抜けしているのは不自然だとの見方もある。青函トンネル用のED79型電気機関車でも、ディーゼル機関車のDD51型でも同じデザインのものが使用されていた。
おそらく、ヘッドマークが収まる台枠があって、そこにプレートを仕込んでカバーを取り付けているタイプのようで、中身のプレートがその日によって傾いた状態で掲げられているのが印象的だった。
同様の状況は北斗星やカシオペアでも見られたのだが、このはまなすでは特にそれがよく見られたように思う。まさに、「ヘッドマークと一言で言っても、いろいろなタイプがある」ということを感じさせてくれたエピソードのひとつだろう。
寝台特急にエンブレムという形は何と言っても寝台特急北斗星が有名なのだが、1991年にこの急行はまなすにも寝台車が連結されるようになり、専用のエンブレム・ステッカーが貼られるようになった。「SLEEPING CAR HAMANASU」と記されている通り、座席車両には見られない。
・指定席扱いの「のびのびカーペット」車は、フラットな床を簡単に区切っただけの一階部分と、ある程度プライバシーを守れる形になっている2階部分とがあり、当然ながら2階部分が人気があった。いずれにしても、安価な指定席料金で横になって寝られることは非常にありがたい存在だった。
今さら言っても仕方がないことではあるが、「窮屈で自由がきかない夜行バスでの旅」をしたときに真っ先に思い出したのがこの「のびのびカーペット車両」と「ドリームカー」のことで、「この夜行バスにこれだけの需要があるんだったら、自由に歩き回ったりトイレに行ったりできる夜行列車にはなおさら需要を開拓できるはずだ」と強く感じたものだ。
◆急行はまなす号の画像集
上り列車の最後尾は24系寝台車。
※画像提供:♪An’s Railway memo☆様。無断使用厳禁!
・青函トンネル開通による営業開始の1988年3月ダイヤ改正で、華々しく登場した北斗星や、渡道を開始した寝台特急日本海、特急はつかりなど特急たちの話題の陰で、マニア好みの夜行列車が新設された。それがこの急行はまなす号だ。その当時、盛岡からの特急はつかり25号、大阪からの特急白鳥が相次いで到着し、それぞれの列車から流れのように乗り継ぐ利用者たちを乗せて、オンシーズンには何両も増結して札幌に向かう姿が印象的だった。
下り列車の最後尾は14系座席車。
写真:日本海ファクトリー写真部2016/2/22