⇒ 急行だいせん号のデータファイルはこちら
急行だいせん号のプチ・ストーリー
◆大阪と山陰中部を結ぶ長距離急行として、末期は夜行のみ、以前は昼夜両方の設定で活躍していた急行だいせん号。昼行列車については福知山線電化と同時に誕生した特急北近畿に格上げ吸収ということで「発展的消滅」と言えるだろう。
一方の夜行だいせん(客車)については21世紀初めまで生き残った。20系客車や14系、14系15型と、元特急型寝台車両が使用されたりして、山陰を代表する列車の一つと言って過言ではないが、夜行列車そのものの衰退期にあっては気動車化(エーデル車両)、短編成化と、どんどん寂しい状況になり、2004年10月改正を最後に姿を消した。
最も印象深かったのは1978年10月改正以降1986年11月改正前まで見られた20系時代の座席車両、ナハ21形。この車両はもともとプルマン式A寝台車ナロネ21形だったのが、余剰が出ていた時期に座席車両が必要だったことにより改造を受けて誕生したもの。とにかく頭上空間が広々としていて何とも言えない解放感がありながら、座席そのものはごく普通の幅だったので身体は窮屈というアンバランス感がなんとも味があった。また、20系らしい大きな窓も、早朝の宍道湖畔を走る下り列車のダイナミックな眺望を楽しませてくれた。
*** 画像提供:Kogane-turbo様
◆急行だいせん号のトレインマーク
山陰地方の最高峰、大山の姿を描いている。一般的なイメージとしては、富士山と対比されるように左右に綺麗になでるようなシルエットが印象深いものだが、このテールマークデザインではちょっと違った切り取り方をしていて面白い。
12系で運転された期間の初期には車両そのものにテールマークを表示する窓がなかったため、行燈式の箱のような表示器を取り付けて走っていた。寝台車側はもちろん標準装備しているテールマーク表示窓からの表示だった。
12系客車も1992年4月ごろからは表示窓が設けられ「とってつけたようなマーク」の状態が改善された。同時に485系譲りのリクライニングシートになるなど、車内の改善も図られた。
話は戻るが、20系時代に使われていたテールマークは「急行」表示だった。