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急行十和田号◆トレインマーク

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急行十和田号のプチ・ストーリー

◆上野~青森を常磐線経由で結ぶ急行列車として1985年3月14日まで運転された。駐留軍専用列車としてのスタートを切った列車が1954年10月改正において十和田号と命名されたのが始まり。その当初においては東京~(青森)~札幌という長距離だったが、1956年11月改正で上野~青森となり、区間設定についてはそれがほぼ廃止まで保たれた。

しかし、列車としての性格は1959年9月22日改正で大きく変わった。それまで豪華な編成だったのが、並行列車である急行北斗(後のゆうづる)が寝台専用列車とされたため、十和田は補完する役割(大衆的・リーズナブル)に使命変更となったからだ。その後は愛称の統一などの影響によって最大7往復の勢力を誇った時期もあったが徐々に寝台特急ゆうづる号に格上げ(削減)となっていった。

20系時代の名物編成

towada-rinji-ark1977年からの約5年間はB寝台を中心にA寝台も連結された20系編成の急行十和田号も存在していた。この編成はA寝台ナロネ21形から改造された座席車ナハ21形を3両連結しており、頭上空間が非常に広くて解放感たっぷりの名物車両だった。この車両を使用して20系で統一する方法を最初に採ったのが急行十和田であるため、この編成方式を「十和田方式」と呼ぶ人もいる。急行だいせん急行津軽急行おがに採用された。

のだが、1982年11月15日改正以降は12系座席車のみのモノクラス編成で運転されるようになり、最後は東北本線経由の急行八甲田との存続レースに敗れるようにして姿を消した。

画像提供:歩王のれっつらご~
【画像について】右が臨時急行十和田号の画像。左は臨時急行ざおう・ばんだい。十和田には14系座席車が使用されていた。

急行十和田号のテールマーク

20系寝台急行テールマーク

20系急行テールマーク

20系時代のテールマークをここでご紹介する。寝台急行や20系夜行急行と言っても、ほとんどのケースではテールマークに列車名や、ましてイラストマークが使用されることが希少だった時代。急行十和田号もまた「急行 EXPRESS」の表示だけのテールマークだった。

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