急行おが号のプチ・ストーリー
◆上野~秋田を結んでいた急行列車。上野から奥羽本線経由で東北方面を結ぶ夜行急行列車としてはすでに急行津軽があり、秋田でも有効時間帯をカバーしていたが、利便性が高く日頃からかなり乗車率の高い状態が続いていた。そのため秋田発着で首都圏との間を結ぶ別の列車が必要になり1961年10月改正で登場したのがこの急行おがである。
言うまでもなく「おが」は秋田のなまはげで有名な男鹿半島からとられた愛称だ。登場した時は漢字表記の急行男鹿だったが2年後の1963年10月に1往復増発されたのと時を同じくして平仮名表記の「急行おが」に変更された。
編成は、A寝台・B寝台・グリーン車・普通車に加えて郵便車や荷物車を含めた非常にバラエティー豊かな12両編成でスタートした。その後1965年には1往復を青森まで区間延長することにより愛称も津軽になり、津軽:2往復、おが:1往復という形になった。さらにその後、昼行列車であった急行たざわ号などもに編入され、一時は3往復にまで成長した。
※画像提供:Teru-t2様
寝台特急あけぼの号の登場と急行おが
大きな転機が訪れたのは1970年7月1日改正。そのダイヤ改正で寝台特急あけぼのが奥羽本線経由としては初めての寝台特急として設定された。それにより、夜行の急行おがは不定期列車となった。とはいえ不定期列車ながら特急型車両をあてがわれたのは特筆すべき点だ。1980年10月からは14系座席車を、そして1983年7月からは20系寝台車+座席車を用いた。この20系の編成は急行津軽の座席需要があまりに高くて20系では賄いきれなかったゆえにまるごと交換したことによる。
長い間、細々と多客期の臨時列車として設定されてきた急行おが号だが、山形新幹線の改軌工事に伴って北上線経由となり、1995年の年始頃まで運転されたようだ。そして全車両寝台の編成であったため、時刻表にも寝台急行のマークが記載された数少ない列車の一つとなった。
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この列車のヘッドマーク・ロゴマーク類のデザインに関するさらなる情報を調査しています。
また、将来的には 号のトレイン・サボなども存在が確認出来たらご紹介する計画なので気長にお待ちいただければ幸いです。
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