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急行きのくに号◆ヘッドマーク事典

か行
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急行きのくに号のプチ・ストーリー

◆ 紀勢西線初の気動車準急として準急きのくに号が登場したのは1958年12月のこと。全車指定席の人気列車となり、当時はエース的存在だったと言える。SL+客車での3時間半(天王寺~白浜口)での3時間切りを達成した。

当初こそ同路線の列車の中で格調高い位置づけが定着していたが、愛称が統一されていくことによって、自由席主体の急行南紀、急行しらはまを吸収したためイメージはがらりと変わったという。

南海電鉄・難波駅直通のきのくに号も設定されていたが、1980年頃から徐々に特急格上げによる愛称変更が相次ぎ、1985年3月改正で姿を消すこととなった。

急行きのくに号のトレインマーク

キハ55系の貫通扉の中央、またキハ58系の正面左右窓下に取り付けられていた独特の形のトレインマーク。デザインされているのは海鳥と南紀地方の波だろう。丸みを帯びた逆三角形が親しみを感じさせる。

急行きのくにの運転終了時には取り付けられていなかったようなので、途中で装着を取りやめたものと思われる。いくらか特急くろしおにも通じるような波が端っこに描かれている。

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)

しかしその一方で、南海直通の急行きのくに号にはこれとは別の、南海独自のトレインマーク(円形)が最後まで装着されていたようだ。それでも南海本線上だけのサービスだったようで、国鉄線上を走る併結運転時には取り外されていたようだ。

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