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急行かいもん号のプチ・ストーリー
◆ 北九州方面~西鹿児島(現・鹿児島中央)を結ぶ急行列車として1993年3月18日改正まで活躍した急行かいもん号。愛称は薩摩富士としても知られる開聞岳(かいもんだけ)から採られたものだ。
キハ55系気動車で準急かいもん号としてスタートし、やがて急行格上げ、475系電車化を経て客車編成の夜行列車を加えた鹿児島本線の準エース級列車だった。特急有明が登場した1968年10月改正までは準急ながら寝台特急はやぶさ号よりも速く博多~西鹿児島を結んだことで高い人気の列車だったようだ。
1970年代半ばになってくると特急有明がすっかり主役の座を奪っていったため徐々に数を減らし、1980年10月1日改正において夜行列車1往復が門司港~西鹿児島間に残ったその状態が12年以上続くことになった。急行日南と同様に20系+12系、その後20系に替わって24系25形が使用され、急行としては比較的恵まれた車両運用がなされていた。
1993年3月18日改正で姿を消したわけだが、それは衰退しての消滅ではなく特急化してドリームつばめとなる格上げによる愛称消滅だった。需要はまだまだあった中での引退と言える。しかし、787系電車での運転ゆえ寝台車がなくなったことは残念であり時代を反映していたとも言える。
急行かいもん号のトレインマーク
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急行かいもん号には電車時代にも逆台形型のヘッドマークがあったことが確認できているが、ここでは24系25形客車寝台客車のテールマークをご紹介する。
20系時代にはすでにイラストマークが採用された急行かいもん(1985年9月30日:下り~)だが、ふもとに広がる花畑のイラストは24系25形化されてから大きく広げられたデザインの様だ。
山の形がまるで、子どもが山の絵をかいた時の様だが、それが誇張とは言えないほどに整った形が印象的な開聞岳。薩摩富士と呼ばれるのもうなずける。