⇒ 急行はぎ号のデータファイルはこちら(準備中)
急行はぎ号のプチ・ストーリー
◆ 米子~長門市を結ぶ急行として1972年3月15日改正で登場した急行はぎ。1975年3月10日改正までの約3年間活躍した急行列車である。愛称の由来となった萩は幕末の日本を語る上で決して外せない観光都市、山口県萩市だ。とはいえ、この列車は観光目的の列車というわけではなく、どちらかと言えば山陰都市間のビジネス目的がメインであり、また列車の行き先(上り列車にとっては発駅)が東萩や萩ではなく、長門市であるためちぐはぐな感じが否めなかったため、わずか3年後の1975年に愛称を変更し、急行ながと号になった。
列車の運転形態は、単独なのは西部区間だけであり、下り列車の場合は急行だいせん号に益田まで併結、また上り列車の場合は浜田から急行しんじ号に併結して2両で運転していた。それで、車両番号が「1号車・2号車」ではなく、「増1号車・増2号車」となっていたのも面白い点だった。
急行はぎ号のヘッドマーク
この列車のヘッドマーク・ロゴマーク類のデザイン、存在したかどうかなどを調査していますが、現時点では 急行はぎ号のヘッドマークの詳細は確認できていません。
今後存在を確認できてトレースが可能であればデザインデータを制作し、ここにてご紹介したいと思います。
また、将来的には 急行はぎ号のトレイン・サボなども存在が確認出来たらご紹介する計画なので気長にお待ちいただければ幸いです。
なお、トレースを精密に行うには当然のことながら精細な画像が必要になります。このサイトは皆さんに無償で使っていただけるトレインマーク事典ですのでご協力いただけるなら皆さんの益になると確信しております。情報をご提供いただける方を募集しています。