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寝台特急あかつき号の簡単解説
◆ 関西~九州を結ぶ特急として行き先が転々とした歴史を持つ寝台特急 あかつき号。1980年代には大阪~長崎・佐世保という時代が 長かったが、廃止直前には同じブルートレイン、寝台特急なは号との併結運転となり京都~長崎の列車だった。
複合型ヘッドマークの組み合わせが寝台特急明星、寝台特急彗星など、いろいろと変わったこと、寝台特急なはと同列車の2例しかないレガートシート車の連結、14系15型を最初に投入し、使用する唯一の列車だった時代があるなど、独特の試みをしたことで知られる列車だ。いわゆる九州ブルトレの中では、東京発着を含めると寝台特急富士・寝台特急はやぶさのコンビが最後の一本だが、関西発着に限ると「あかつき・なは」コンビが最後の一本だった。
◆寝台特急あかつき号のトレインマーク
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1965年10月1日(~1975年3月10日)
【HM再登場】1984年2月1日
【HM引退】2000年3月11日
(彗星との併結開始。)
【HM使用期間】合計25年6カ月
あかつき単独のヘッドマークは非常に落ち着いた様相だ。静かに夜を走っていく列車という印象を与える。いくらか、個体差によるものと思われるがゴールドの部分が黄色、縁が白のものも存在した。
HMとは対称的にテールマークのデザインはトリコロールカラーで構成されていて鮮やかな印象を受ける。このカラーリングの延長のようなイメージでレガートシートに採用されたのだろうか。そうだとしたら、最初から最後まであの車両は特急あかつき号しか想定していなかったことになる。結果論としては、まさにそうなった。
【レガートシート】
ブルートレインなは号にも導入されたレガートシートだが、こちらが初代。ブルートレインの編成に組み込まれていながら全く異なる外観の車両だった。
特筆すべきは女性専用座席の設置という思い切ったアイデア。編成全体の端に位置する部分に10席強の確保に過ぎないが、「取り分けるということ」が良かったのだと思う。
◆寝台特急あかつき号+α 複合型トレインマーク
寝台特急あかつき号も歴代ヘッドマークのバリエーションが多い列車の1つだ。それもそのはず、単独のマークの他に、併結列車が3種類、しかも本州と九州で別デザインのものまで存在したからだ。
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【HM登場】2005年10月1日
【HM引退】2008年3月15日
(最終運転到着日)
【HM使用期間】2年5カ月
2008年の運転終了まで使用された特急なは号との複合マーク、中央にふくらみがある中華なべタイプのマー クだ。この、なは・あかつき号のトレインマークはJR九州管内での運転に際して用いられ、それぞれの単独運転の区間でも使われた。少々カラーコンビネーションが地味な印象ではあるが、デザインの配置などは調和がとれていてとてもよい印象だ。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】2005年10月1日
【HM引退】2008年3月15日
(最終運転到着日)
【HM使用期間】2年5カ月
上は本州で使用されていたデザインだ。EF66の先頭を飾った。南国の植物のデザインにグリーン系の色を使用するのではなく、白い色で描かれているが、全体のバランスを考え、牽引する機関車との相性なども含めて考えると、煩雑な印象を与えない、良いカラーチョイスだと思う。
彗星・あかつき号複合型トレインマークも なは・あかつき号のマークとデザインコンセプトはよく似ている。しかし、こちらは彗星に星を使用しているからか、あかつき号の部分に星は描かれていない。また、「あかつき」という文字のデザインも微妙に変えてあり、斜体の角度が強くもなっている。
寝台特急明星号は関西~九州のブルートレインでは初めての(異なる愛称での)併結運転をあかつき号と行った。明星号にとっては奇しくもヘッドマーク採用と同時の併結化だったため、明星単独のものは本州には存在せず、最初からこの複合型トレインマークが使用された。
◆寝台特急あかつき号の画像集
・長崎・佐世保からの長旅を終えてこの当時の終点、大阪駅に到着したブルートレインあかつき号。1986年夏、2往復のうちの1往復は 明星号との併結運転をしていたが、写真の列車は単独運転のあかつき号だ。寝台特急・夜行列車の需要が下降気味になってきたころの姿といえる。この後、EF65PFからEF66へと牽引機が交代。
EF66の複合ヘッドマークの写真は2007年。運転区間も佐世保編成ははるか昔に消滅し、大阪発着ではなく京都発着 となって、列車そのものの廃止の噂がそろそろ流れ始めていた頃だ。
これは私が夫婦で乗車した時の写真だが、この時の車掌さんの言葉に「あかつき・なは」が直面していた現実を痛感したのを覚えている。この時私が持っていたのがあかつき号のDUETの切符。それを見た車掌さんは「ご夫婦でしたら、なは号のDUETの方が居心地がいいですよ。いくらでも部屋が空いていますから変更しませんか」と案内してくれたのだ。上下二段の寝台より平面に二つ並んでいる方を・・・ということでたいへんありがたかった反面、寝台特急の利用者の減少を肌でひしひしと感じた出来事だった。
1981年、まだヘッドマークが採用されていなかった頃のブルートレインあかつき3号。大阪駅4番線からの発車だった。悪く言えば、他の多くの寝台特急も機関車は同じで写真だけ見ても区別がつかなかった。
銀の帯をまとう14系15型の、あの当時唯一の列車だった寝台特急あかつき号。長崎だけでなく、佐世保行きの付属編成があった、懐かしき時代だ。
大阪駅で1982年に撮影した写真だが、故障なのかいたずらなのか、西鹿児島行きになっている。左上の角には大阪の阪の字が見える。しかし、過去をさかのぼると実際に西鹿児島行きが存在した時代があった。