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寝台特急富士号のプチ・ストーリー
◆ 東京~大分を結ぶ寝台特急列車として2009年3月14日改正まで運転されていた寝台特急富士号。全区間単独運転の列車としては九州ブルトレ最後のひとつとなり、はやぶさ号とのコンビでも九州最後のひとつとなった。
過去には日豊本線経由で西鹿児島(現:鹿児島中央)まで結んでいた際に1595.9kmを走破し、最長距離列車のタイトルを誇った日本鉄道史に残るビッグネーム。現在もその記録は破られておらず、トワイライトエクスプレスが大阪と札幌を結ばなくなった今、破られる可能性は今後もきわめて低そうだ。ちなみに、走行距離歴代第2位はトワイライトエクスプレスではなく、1518.5kmを走破した寝台特急はやぶさ号(東京~鹿児島)である。
ただ、特急さくら、特急はやぶさ、特急みずほがいずれも新幹線の愛称として復活した今も、その名前の地域拘束性から復活が見込まれていないのが残念だ。リニア新幹線で復活するのだろうか。
◆寝台特急富士号のトレインマーク
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1964年10月1日
【HM引退】1985年3月14日
(その夜から山型HMへ)
【HM使用期間】20年5カ月
昭和のブルートレインファンに馴染み深いのはおそらくシンプルな丸型ヘッドマーク(青・白)。EF65型1000番代機関車の貫通扉部分に取り付けられたヘッドマークのイメージが強いが、EF60-500⇒EF65-500とバトンリレーしてきたものである。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1985年3月14日
【HM引退】2009年3月14日
(最終運転到着日)
【HM使用期間】24年ジャスト。
山型ヘッドマークは本州内でEF66の先頭に取り付けられていたが、関門トンネルではEF30など、九州内ではED76型などの交流型機関車のヘッドを飾り幅広く使用された。
九州内でのもう一世代前のトレインマークとしては中華鍋型の、中央に膨らみがあるタイプもあった。
【HM登場】1964年10月1日(~1975年3月10日かそれ以前)
【HM再登場】1984年2月1日
【HM引退】1985年3月14日
(その夜から山型HMへ)
【HM使用期間】20年5カ月
忘れてはならないのは、装着された実績は少ないもののかなり強いインパクトがある赤富士。鉄道マニアの間でも幻のヘッドマークとしてファンが多い。
いよいよ末期には寝台特急はやぶさとの併結運転が14系を使用して行なわれ、そこでは複合型ヘッドマークが登場した。なんとなく、一富士二鷹のように(鷹ではないのだが)うまくまとめあげられたデザインだ。
イラスト・テールマークの登場時から最後まで一貫してテールマークは、この単純明快なデザインのものが用いられた。末期にはかなり色あせていたのか、背景のブルーが水色の様になっていたことが深く印象に残っている。
はやぶさ号との併結に際しては、上り・下りともに富士の編成がはやぶさの後ろ側の編成になっていたため、門司駅以東ではいつでも最後尾で輝いていたのは富士のテールマークだった。14系同士ならではの現象と言えよう。
◆寝台特急富士号の画像集
東京と九州を結ぶ最後の最後のブルートレインとして2009年3月まで走ったが、この画像は最終日の運転。山口県の宇部駅に到着したのは約2時間遅れ。サヨナラを告げるこの日に「現代の鉄道運営において客車列車が敬遠されるようになった理由=ダイヤの乱れ」が如実に現われたのは皮肉な現実だった。
◆寝台特急富士号の懐かしい画像集
東京駅の夕方の名物、「ブルトレ機回し」(EF66/EF65PF)。2つの世代の機関車の機回しシーンをご紹介。
上は明るい陽光を浴びて走る姿は超長距離のブルートレインならではのシーン。
右下の画像は24系25形を使用していた全盛期。最長距離列車のタイトルは寝台特急はやぶさに譲ったままになったが、過去においては24時間を越える走行時間を誇るほどの長距離列車だった。