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寝台特急さくら号のプチ・ストーリー
◆ 長らく東京~長崎・佐世保間を結ぶブルートレインだった寝台特急さくら号。
特急さちかぜ、特急平和の流れをくみ、東京~九州を結ぶ代表的な寝台特急であったさくら号だが、乗車率の低下に伴って佐世保発着を廃止し、熊本発着の寝台特急はやぶさと併結するようになり、2005年春のダイヤ改正で廃止された。
それに至るまでにも、付属編成が同区間を走っていた寝台特急みずほ号が廃止になるなど、衰退は着実に進んでいるることがはっきり感じられた。列車番号1&2も、単独運転終了と同時に寝台特急富士に譲った。
数あるブルートレインの中でも実際に使用された歴代ヘッドマークの種類の多さでは際立っている。伝統ある列車名はその後も人気を誇り、山陽・九州直通新幹線の名称として復活した。
◆寝台特急さくら号のトレインマーク
ブルートレインさくら号テールマーク
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【TM登場】1979年7月1日
【TM引退】2005年3月1日
【TM使用期間】25年8か月
テールマークでは、ヘッドマークの大きな桜のデザインとは対照的な、可愛らしい小さい花たちがデザインされている。ブルー地に黄色い文字という組み合わせは寝台特急に多い組み合わせだが、そこに添えるデザインがピンクというのは少ない。良いアクセントになっている。
このテールマークのデザインは、イラスト・トレインマークが採用されるようになった1979年7月から廃止される時まで一貫して使用され、多くの方に世代を超えて親しまれたという点で、ヘッドマークとは対照的だ。
寝台特急さくら号「小桜」ヘッドマーク
その時代ごと、そして走行エリアごとに、使用されたヘッドマークに違いがある。最初期に登場したマークは花が3つ描かれた「通称:小桜」と呼ばれるタイプでおもにEF58牽引時代に装着していたようだ。ある資料では1956年~1962年ごろとされている。なお、61~62年ごろは大きい桜(白花)のヘッドマークと並行使用されていたと思われる。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
その頃も、非電化区間では大きく一つの花が描かれたタイプが使われていたようだが、並行して使用された後その大きな花タイプが主流になっていったと思われる。
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大きなさくらHM「白桜」
また、白とピンクの組み合わせを反転した2種類などは交互に登場したりして、一概にどちらが古いとは判断できない。過去の資料を確認しても、赤桜タイプのマークが古いEF60や比較的新しいEF65 1000番代に取り付けられている写真があり、白桜がその間のEF65 500番代、さらに1000番代に取り付けられている写真を確認できる。
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【HM登場】1961年ごろ?
【HM引退】遅くとも1985年3月14日
大きなさくらHM「白桜」
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1977年ごろ?
【HM引退】遅くとも1985年3月14日
大きなさくらHM「背景みどり」
周囲がグリーンのものは戦前に使用されていたデザインを踏襲して復刻したような末期のものだが、EF66牽引のものには金色の円縁がついている。一方、九州内専用の、中華鍋タイプ(ふくらみがあるもの)はいろいろと微妙な違いがある。
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【HM登場】1985年3月14日
【HM引退】2005年3月1日
(最終運転到着日)
【HM使用期間】19年11カ月
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】使用していたと思われるが不明(~)
※1950年代~70年代の写真に多く写っているようだが白黒写真で確認できず。
【HM再登場】1985年3月14日
【HM引退】1999年12月4日
(さくら・はやぶさ複合マークに変更)
【HM使用期間】14年8カ月 + 過去
さくら・はやぶさ複合型ヘッドマーク
寝台特急の斜陽期に入り登場した複合型トレインマークは寝台特急さくら号の末期を象徴するようなマークであり、明らかに時代としては新しいものだ。「上下半分ずつ列車名が分かれているタイプ」は東海道・山陽本線上で牽引していたEF66に装着されていたもの。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1999年12月4日
【HM引退】2005年3月1日
(最終運転到着日)
【HM使用期間】5年3カ月
一方、「二つのデザインを重ねたタイプ」のマークは九州に入ってから、北九州市の門司駅以西で牽引したED76に装着されていたものだ。普通に考えると門司~鳥栖の併結区間だけ使用していたのだろうと思うところだが、実は九州内では全区間(長崎・熊本までも)下のマークで走っていたという。(RailMagazine No.196参照)
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1999年12月4日
【HM引退】2005年3月1日
(最終運転到着日)
【HM使用期間】5年3カ月
そのようなわけで、九州内で使用された中華鍋型の「さくら号単独HM」ははやぶさとの併結開始前までの活躍だったことがわかる。
◆寝台特急さくら号の画像集
EF65形1000番代の画像は大阪駅停車中の下りブルートレインさくら号。撮影した1981年当時、白地の背景に赤い桜の花のヘッドマークが使用されていた。午前0時01分発。寝台特急あかつき号に乗れなかった人なのだろうか、深夜の大阪駅から乗車する乗客の姿もあった。
EF81の写真門司駅停車中のブルートレインさくら号。過去にはステンレス丸出しの300番代がおもな関門牽引機だったが、ローズピンクに塗られた300番代、また元々ローズピンクの400番代がその役割を担うようになった。 *** 画像提供:YOMPAQ様・Teru t2様・kogane-turbo様・K-office様。
午後4時台後半の東京駅9・10番ホームはブルトレアワーの始まり。その先陣を切ってスタートするのがこの14系ブルートレインさくら号。この当時は列車番号1・2が与えられていて名実ともに東京発のブルートレインを代表する存在だった。
上は午後9時過ぎの名古屋。下りブルートレインさくら号が名古屋に到着するのはまだまだ有効時間帯内。ここ、長距離列車のホームが人で溢れることはないがまばらに乗客の姿が見られた。またそれとは対照的に、隣の近郊区間の列車が往来するホームは会社帰りの人たちでいっぱいだった。末期の姿は寝台特急はやぶさ号との併結。九州型の複合ヘッドマークは門司駅と鳥栖駅の間だけのものではなく、終点まで(下り基準)複合マークが使用された。