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特急平和号・へいわ号のプチ・ストーリー
◆特急へいわ号、そして特急平和号。 1949年9月15日からその年いっぱい、東京駅~大阪駅間を運行した戦後初の特急としてひらがな表記の「へいわ号」が活躍。とにかく存続期間が短く1950年1月1日からは新しい愛称の「特急つばめ」となる。この、初代特急へいわ号の存続期間「3か月半」は短命愛称の記録として今なお破られていない。
その後、漢字表記の「特急平和号」として1958年10月から1959年7月まで、東京駅~長崎駅間を運行した。この列車は寝台特急あさかぜ号に続いて、東京~博多を結ぶ寝台特急列車として1957年7月に運転開始した寝台特急さちかぜ号が愛称を変更して登場したもの。「さちかぜ」という名称が「あさかぜ」と愛称が似ていることから誤乗車が続出したのが原因だという。
しかしながら、さらに翌年に初代ブルートレイン、20系客車の導入に伴って寝台特急さくら号という愛称変更が再び行われ、新時代へと移った。それから数年後、ひらがな表記の「へいわ号」として再び登場、1961年10月から1962年6月まで、大阪駅~広島駅間を運行したキハ82系特急の愛称として使用されたが、こちらも短命。いずれも短い期間の活躍だった。
◆特急平和号と特急へいわ号のトレインマーク
こちらのマークは平和の象徴である白い鳩が飛ぶデザインで、1949年9月~年末の初代へいわ号の列車最後尾の展望車にテールマークとして使われていたもの。この、約5年ぶりの特急復活に対し、反対意見もあり、整備する資材も不充分な中での戦後初特急のスタートだったようだ。
初代へいわ号のテールマーク
特急はと号のトレインマークに使用されたものと、かなりよく似たデザインのものだが年代からしてこちらが本家ということになる。そして実際に並べて見比べると意外に多くの違いがあることに気づくだろう。
2代目平和号のヘッドマーク
この後の特急平和号の時には平和の鐘を描いたデザインが採用された。その文字は非常に太く力強いフォントになっていた。一文字当たりの大きさや相対的な安定感という点で特筆すべきヘッドマークと言えるだろう。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1958年10月1日~
【HM引退】1959年7月20日
(その夜から寝台特急さくら)
【HM使用期間】9カ月
実物では鐘や文字の部分が反射の強い鏡面仕上げになっていて、映り込む景色によってはデザインが読み取りにくいことがあり、少々残念な部分があった。使い込み、小傷が増えていったほうがヘッドマークとしての良さが感じられるのだろうか?と感じたマークの一つだ。
国鉄末期の1980年代前半には多くのリバイバル特急が企画され、1983年7月23日にその一環としての特急平和号のリバイバル運転が行なわれた。以下はその時の画像。
◆リバイバル特急平和号の画像
1983年に、特急つばめ号、特急はと号に続くリバイバル特急として平和号の運転が行なわれた。東京~大阪間の運転だったと記憶しているが、EF58-61牽引による特別列車はかなりまぶしく映ったことを思い出す。 一方、その当時でさえすでにオールドファンとなっていた年齢層の方には物足りなかったようで、14系座席車で走らせてどこが特急平和号なんだ!という声が聞こえてきたことを今でも思い出す。