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特急北海号のプチ・ストーリー
◆ 特急北斗号と同じ「函館~札幌」を、こちらは山線経由で結ぶ特急列車として1986年まで運転されていた特急北海号。
北海号が通る函館本線(山線)は、特急北斗号が通る室蘭本線などと比べて主要都市が少ない。そして、距離が短い割に勾配の多い山岳区間のため時間はかかるということで、室蘭、苫小牧、千歳などを経由する高速路線の北斗号に統合されるのは時間の問題だった。急行ニセコ号、急行らいでん号などで賑わったのも遠い昔。
*** 画像提供:タケちゃん様・♪An’s Railway memo☆様 (いずれの写真も無断使用・転載を厳禁)
◆特急北海号トレインマーク
イラストHMはキハ183系の登場とともにデビューした。それは1981年10月のこと。一方、裾が少し絞られたキハ82系のマークは同じデザインではあるものの1985年3月の登場ということで、味のある文字マークが長らく見られた。
【HM登場】1985年3月(キハ82)
【HM引退】1986年11月
【HM使用期間】1年8か月
少々記憶が色あせつつあるが、大阪からの特急白鳥号と東北本線の特急はつかり号が青森駅に到着して、両方の乗客の多くが青函連絡船に乗り、函館で特急北斗号と特急北海号に分かれて乗る、そんな情景が思い出される。
この北海号の山線ルートは室蘭本線ルートより約30kmも短いので単純計算すると20分は早く到着できそうなものだが、路線形状が災いして距離が短いアドバンテージを生かせず、非常に時間がかかっていたという。
◆特急北海号の画像
北海道においてダイヤの乱れというのは日常茶飯事。そんな折には普段とはまた違った風景や、列車の並びの組み合わせを見ることができる。右の写真も普段は見られない組み合わせだったようだ。
国鉄時代の北海道の特急の屋台骨を支えていたと言って過言ではないキハ82系。その走る姿は流麗で、緑の多い大地にもよく似合う。
キハ183系も使用されるようになってはいたが、その期間はあまり長くはなかった。トレインマークにイラストが採用されるようになったのはその少し前からで、キハ82系にもそのマークを取り付けた姿が一時期見られた。
国鉄時代の単線区間を語るうえで外せないアイテム、タブレット。そのタブレットを受け取るらせん状のキャッチャーが左端に写っている。函館本線比羅夫駅構内での懐かしい様子だ。
画像提供:タケちゃん様