急行いよ号◆ヘッドマーク事典 | HM事典新館
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急行いよ号◆ヘッドマーク事典

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急行いよ号のプチ・ストーリー

◆高松~松山を結んで1990年まで運転されていた急行いよ号。

急行いよ号キハ58

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1966年3月5日改正で急行列車化されてから23年間活躍したが、その愛称の歴史はさらに長く、1956年11月の準急としての誕生にまでさかのぼれる。1982年から1986年までの4年間が最盛期で下り7本、上り5本運転されていた。その後、特急しおかぜ号への格上げという形で削減が進行し、1990年に廃止された。

 

キハ58急行いよ号

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どちらかといえば日陰の存在で、急行うわじま号を補完する役割であったり、特急化で愛称があっけなく消えたりと恵まれない印象があるが、ピーク時の運転本数などを考えると立派に胸を張れる列車だったといえる。

途中、本数の増減があるが運転区間延長や打ち切りなどに伴う急行うわじま号との譲り合いが何度となく行われたのが一つの要因である。急行時代は一貫して気動車での運転で、キハ58系キハ65系などが使用された。

※ このページの画像提供:谷澤良二様

◆いよ号トレインマーク

四国の気動車急行に広く見られたタイプ、円形を上下に割ったタイプのもので、予讃線のラインカラーであるブルーが下半分に塗られている。これは同じ予讃線の急行うわじま号とも共通である。

しかし、わずか2文字でしかも画数の少ないひらがな(全部で4画)ということから、誰が見ても見間違えようがないという点で比類のない列車だったと思われる。

◆いよ号懐かしい画像

1980年代まではディーゼル王国と呼ばれた四国において、国鉄急行色はいかにも四国らしい光景だった。その中でも長きにわたって活躍してきた急行いよ号のイメージは強い。キハ65急行いよ号

穏やかな瀬戸内海に沿って走る姿を今も懐かしく思い出す人は少なくないだろう。急行うわじま号と共に予讃本線(現・予讃線)の屋台骨を支えた列車であることは間違いない。

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