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急行能登号のプチ・ストーリー
◆ 上野~金沢を結ぶ夜行急行列車として2010年3月まで寝台特急北陸号とともに定期運転されていた急行能登号だが、臨時列車に格下げ、約1年後には自然廃止の道をたどった。過去には特急白山号と同じルートで運転されていたが、1997年の長野新幹線開通に伴って信越本線の碓氷峠が分断されたため長岡回りのルートに変更された。
登場したころは旧型客車ではあったがA寝台1両・B寝台5両・グリーン車1両・指定席2両・自由席3両というバラエティーに富んだ編成で、幅広い客層から支持されたようだ。特に上野~長岡間でEF58を先頭にした長大旧型客車編成が見られ、まさに昭和の夜行急行列車を絵にかいたような存在だった。その後、14系の寝台・座席を使用した編成で運転し、一時期は七尾線輪島駅まで臨時延長運転されたこともあった。
定期列車としての最終形は489系ボンネット型先頭車の編成で、東海道の特急こだま号を彷彿させるその姿の“最後の定期列車”だったことから高い人気を誇った。臨時化された後は485系の一般的な非貫通型先頭車の編成になったがわずかな活躍で終焉を迎えた。使用されていたボンネット型先頭車両クハ489-501は現在石川県小松市の土居原ボンネット広場にて保存・公開されている。
◆急行能登号・トレインマーク
すっきりとした図案化された能登半島のシルエットに波立つ日本海の姿が描かれた、寒色系のヘッドマーク。同系色でまとめられて視認性も高く、特急のような風格も感じられるマークだった。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1993年3月18日
【HM引退】2010年3月13日
(最終運転到着日)
【HM使用期間】17年弱
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(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】2010年3月19日
【HM引退】2012年2月25日(臨時運転最終到着日)
【HM使用期間】1年11か月
2010年3月のダイヤ改正でついに定期列車ではなくなり、それと同時にボンネット型の489系に別れを告げ、臨時列車として485系に変更された急行能登。
ヘッドマークの基本デザインこそ変化はないが、横長から長方形に変わったためデザインの配置に少々変更があり、色合いも少し変わったため印象が違って見える。その臨時急行能登もいつの間にか姿を消し、過去のものとなった。こちらは機関車用の円形ヘッドマーク。実際に通常の営業運転で使用されたのかどうか、定かでない。イベント的なものだったのか、リバイバル運転などだったのか、そういう存在の可能性が高いか。機関車を使用するとすれば碓氷峠の補機・EF63がまず思い浮かぶ.
◆急行能登号の画像集
上の画像は臨時列車化されてからの急行能登号。
・定期運転の列車として最後のボンネット型車両の列車だったので、かなり人気が高かった。しかも、EF63との協調運転ができるように作られた489系の連結器周りの特殊な姿も相まっての人気だったようだ。定期運転の終了と同時にこの車両の廃止が決まり、いずれ解体処分を待つしかないと思われていたが、石川県小松市「土居原ボンネット広場」でクハ489-501が静態保存された。もっとも、中間車両などはすでに廃車解体済みの模様。
・この方向幕は客車で運転されていた時代のもの。
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