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特急しらさぎ号のプチ・ストーリー
◆名古屋・米原~金沢を結ぶ特急しらさぎ号。2015年3月14日ダイヤ改正にて、北陸新幹線金沢開業に伴う変更として富山・和倉温泉発着が消滅し、上記区間に統一された。また、編成両数もそれまでの5両・8両ではなく6両編成に統一され681系中心の運用に変更。
なお、今では富山方面へは北陸新幹線で、能登方面へは特急能登かがり火でという「乗り継ぎ必須」になってしまった。
2003年7月まで485系の国鉄型車両を使用して、カラー・リニューアルしたりもしていたが、2003年3月から導入開始した683系車両がわずか4カ月ほどですべての運用に就くようになって一気にグレードアップした感がある。
しかし、それと同時にヘッドマークが完全に姿を消した。2015年には683系2000番代を直流専用に改造したうえで289系とし、特急こうのとり、特急きのさき、特急くろしおなどに転用された。
◆特急しらさぎ号のトレインマーク
ブルーのデザインのトレインマークは、金沢発着の特急群の中でもひときわ鮮やかな印象を与えるっものだった。485系がこのHMを使用していた頃、米原発の設定はなかった。米原発着の列車は「特急加越」という別の名称が設けられており、そのほかにも「特急きらめき」という名称の列車もあった。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1978年10月2日
【HM引退】2003年5月30日
(翌日から683系化完了)
【HM使用期間】24年8か月
583系しらさぎは幻のヘッドマーク?
583系の横長のHMの方はどういうわけかしらさぎのイラストが少々右寄りで、申し訳なさそうに飛んでいる印象。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
実を言うとこのイラストトレインマークの採用と、特急しらさぎの583系間合い運用の終了が同時だということになっており、本当にこのマークが存在したのか?という疑問が残っていたのだが、ちょうど過渡期にあたる時期に準備が進められていたため、存在したことは間違いないらしい。実際に使用されたのかどうかについてはまだよくわかっていない。
ボンネット型しらさぎHM
683系しらさぎロゴマーク
683系投入が完了してわずか2ヶ月の後に「特急加越」の名称を「しらさぎ」に統合し、現在に至っている。その名残として、当初は新型車両に貼られたボディーサインのステッカーにKaetsuという文字が上部右側の小さな部分に見られた。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【ロゴマーク登場】2003年3月15日(683系投入開始)
【ロゴマーク引退】(時期不明)
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(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【ロゴマーク登場】(時期不明)
【ロゴマーク引退】2015年3月13日
(683系2000番代が転出)
これは、特急サンダーバードのステッカーも同様で特急雷鳥の名残の「Super Raicho」の文字が入ったそうだ。しかし、残念ながらその後「過去の列車の名称」は取り除かれて新しいステッカーが貼られるようになった。
さらに、681系がしらさぎ号の運用に就くようになった2015年から、帯色はしらさぎ用のブルー&オレンジになったがステッカーはグレーの楕円ステッカーでラッピングされてしまい、しらさぎステッカーは貼られずに今に至っている。
おそらく、このステッカーの下には特急はくたか号時代の「White Wing」というステッカーもしくはサンダーバード号のステッカーが貼られていて、それを覆っているものと思われる。それは、この車両がおはようエクスプレス・おやすみエクスプレス、ダイナスター、能登かがり火などと共通運用を組んでおり、多用途になっているため特定の列車名を掲げることがいささか適切でない状況に思えるからだと想像できる。
683系しらさぎ愛称幕
最後に、現在も使用されている愛称幕をご紹介する。こちらはサンダーバードのような鮮やかさとは対照的な「黒地に白文字」の組み合わせ。列車名を示すことに徹した愛称幕だ。かつて存在した特急はくたかや特急スーパー雷鳥の表示も同様であった。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【愛称幕登場】2003年3月15日
【愛称幕引退】 現役
◆特急しらさぎ号の画像集
・683系が投入されてからというもの、どれほどの高速化が図られたのだろうかと思って調べたところ、なんとほとんど変わっていない。したがって高速化のために新型車両に置き換えられているというよりも、車両の快適性・経済性・安全性などに主眼を置いた置き換えだとみる方が正しいようだ。
・左は683系車両の列車表示器の写真。行先表示にはLEDを使用しているが、列車名の表示にはロール幕が用いられている。この頃の状況は、基本的にしらさぎ号専用で、列車名の表示だけにすればたびたび回す必要もなかったので作業を簡略化でき、分離したのは正解だと思う。
・現在北陸本線の主力となっている683系。貫通型の先頭車の姿だ。のっぺりとした、アクセントに欠ける顔立ちの車両だが、ホワイトとダークグレーを基調としたカラーリングは清々しさがある。サンダーバード号とはサイドのラインの色が異なり、ブルーとオレンジのラインが入っている。
◆特急しらさぎ号の懐かしい画像集
・特急しらさぎ号の改造型先頭車両。七尾線が電化したことに伴って、基本編成から切り離される「和倉温泉行きの付属編成」にも運転台を設置することが必要になったため誕生した、切妻形状がそのまま保たれた異色の車両。
国鉄特急デザインに準じた「赤いウィング」塗装があるにはあるが、何もかもがとってつけたような雰囲気で、お世辞にもかっこいいとは言えず、デザイン云々の話をする対象にも思えない。どちらかと言えば、この当時の「列車運用の面白さ」を語る対象として印象に残る存在である。
・右の写真は1991年。この年に能登半島を行く七尾線が電化されたのと時を同じくして和倉温泉行きが設定された。それまでの急行能登路への乗換えの時代と比べて、直通できることでずいぶん便利に、そして近い印象になった七尾・和倉温泉ではあったがそこはまだ能登半島の中ほどの位置だった。
つまり、その先の輪島や珠洲といった地方都市に行くには引き続き乗り換えが必要で、案の定モータリゼーションの発達に伴って、穴水より先はどちらの路線も第三セクターの「のと鉄道」化を経て後に廃止。しらさぎ号の輪島行き・珠洲行きなどは実現しなかった。
・右はボンネット型の485系を使用した特急しらさぎ号。1980年代前半にはほとんど見られなくなっていたが、JR化する前頃から大量の同車両が金沢に転入してきたため、特急加越号とともにボンネット型が普通に見られるようになった。
・右下の写真はまだ地上駅だったころの1981年の金沢駅、そして旧型客車による鈍行列車との並び。すっかりタイムスリップしてしまったかのような画像だが、編集者の小学生時代の貴重なスナップ。この当時はボンネット型を使用するケースは非常にまれで、ほとんどが300番代・200番代による運用だった。その少し前までは寝台特急金星号の間合い使用の583系でしらさぎ号の運用にあたっていた。