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特急あさしお号のプチ・ストーリー
◆特急あさしお号。 京都~米子・倉吉・東舞鶴・城崎・天橋立を結んだディーゼル特急。キハ181系気動車を使用して、山陰本線京都口発着の唯一の特急として長く君臨した。古くはキハ82系気動車を使用し、食堂車の連結もなされていた。
特急あさしお号はとにかくバリエーション豊かな特急列車だった。京都~東舞鶴・倉吉・城崎・米子などの区間、しかも舞鶴線・宮津線経由など、いろいろなルートをとって「行先・経路が複雑なこと」が特徴であり、1988年のデータによると、6往復設定されていたが全く同じ経路で同じ行先というものが3本となかった。つまり、「乗り遅れたから」とか「満席だから」といった理由で次の列車に乗ろうとしてもその駅には行かないということが多かったのである。
やがて、山陰本線京都~福知山間の電化完了と同時に愛称分けされ、特急はしだて、特急まいづる、特急たんば、特急きのさきとなり、特急あさしお号という名前も採用されずに消えていった。
ここに、同じようにややこしいルート設定の急行丹後が加わり、利用客観点からはしっかり整理してほしいと以前から感じていたが、愛称そのものまで整理されてしまうとは思いもしなかった。そうして電車化と共にバトンタッチしたのが今も活躍する特急きのさき、特急まいづる、特急はしだて、そして統合されて愛称は消滅した特急たんばである。そんな北近畿エリアも国鉄型電車が淘汰され、287系を中心にした新時代のスタイルに変貌を遂げて現在に至っている。
◆特急あさしお号トレインマーク
上の画像は山陰本線八木駅で待避していた急行丹後1号の車内から撮影した特急あさしお2号だ。1987年の撮影だが、この時にはすでに鮮やかなイラスト・ヘッドマークが採用されていた。日本海に昇る朝日を描いたこのマークは1985年3月のダイヤ改正で登場した。
◆特急あさしお号イラスト採用前
もう一方の画像(および冒頭)はキハ181系を使用するようになって間もない頃の特急あさしお号。まだヘッドマークがデザイン・マークになっておらず、ひらがなとローマ字の文字表記ヘッドマークだ。京都駅山陰1番線ホームに到着したところだが、何となく今よりずっと若々しい車両というような感じがする。
特急やくも号が伯備線電化により381系を使用するようになって、捻出されたキハ181系がその後長く山陰路を駆けてきたがそのひとつが特急あさしお号だった。同じ車両は特急はまかぜ号として2011年まで走り続けた。