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◆特急かもめ号のトレインマーク
◆国鉄イラストマーク1期生
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【HM登場】1978年10月
【HM引退】1990年3月
【HM使用期間】11年5か月
国鉄特急色の485系にブルーのトレインマークはとてもよく映える。佐世保行きの特急みどり号との併結運転で貫通扉つきの485系200番代が使用されることが多かったのでほぼ正方形のマークのイメージが強い。とはいえ、併結運転をしてはいたものの、両列車の行き来をするために貫通扉を使用した例はなかったといわれる。
余談だが、貫通扉付きの併結列車と言えば寝台特急サンライズ出雲とサンライズ瀬戸が思い浮かぶが、これらの列車は貫通扉を使用して往来可能である。
◆黒いかもめマーク
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【HM登場】1990年3月6日
【HM引退】1993年ごろ?
(REかもめ のマークに変更)
【HM使用期間】
【HM引退】1991年4月には「RE KAMOME」マークが登場したのだが、併用時期があったことや1993年ごろの目撃情報があり、実際のところは調査中。
シンプルに白黒が大部分のトレインマークが登場した時には、あまりにも味気なくなったなと感じた。一方で車体は原色のオンパレードで脱国鉄を推し進めたJR九州に幻滅を感じた時期もあった。しかし皮肉にも、国鉄時代の特急車両を使用してリバイバル運転する姿を見てJR九州に心からの賛辞を送りたいと思う。
KAMOMEエンブレム
885系車両が特急かもめ号専用編成を分けていた頃には、KAMOMEエンブレムが存在した。シンプルに描かれたデザインはなかなか素敵だ。ボディーサイドにはアルファベットの文字も添えられた(画像のように)もの、先頭部には円形のマークの部分のみ取り付けられていた。文字の部分は黒光りするようによく目立つものであった。
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ボンネット型ヘッドマーク
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【HM登場】1985年3月14日
【HM引退】1990年初めごろか?
(翌日から)
【HM使用期間】5年弱?
特急かもめ号のプチ・ストーリー
◆ このページでは博多~長崎・佐賀を結んで現在も活躍している特急かもめ号をご紹介する。
⇒ 特急かもめ号(山陽~九州特急)のページはこちら。
過去にはL特急としていたが現在その種別自体が廃止されている。また、小倉発着だった時代や、特急みどり・特急ハウステンボス号と併結していたこともある。3つの列車の併結で13両編成だったが、485系史上最長の編成だった。
車両は485系から783系や787系、また885系の白いかもめに変わり、スピードもグレードもアップした。とりわけ、787系にはDXグリーン車や4人個室グリーン車が連結された。
885系車両は投入された当初「かもめ専用」のイエローのラインだったが、現在では白いソニックと共通化されてブルーのラインに統一されている。2015年3月14日ダイヤ改正で車内販売サービスが終了し、無機質なビジネス特急の印象が強くなった。今後の展望としては九州新幹線長崎ルートの建設がどのような影響となるのか、愛称の存続はあるのかが注目される。
***※画像提供:Kogane-turbo様・Teru-t2様(無断使用を禁じます)
◆特急かもめ号の思い出画像
長崎駅の改札口を一歩入ると一番手前のホーム、右奥で特急かもめ号が出発の時を待っていた。1987年10月の撮影だ。
夜行列車がまだまだ華やいでいた頃、奥のホームのさらに向こうには寝台特急さくら、寝台特急あかつき、寝台特急みずほなどが並んで留まっていた頃だが、それでも日中の主役は自分だ!と言わんばかりの存在感で、特急かもめ号こそがまさにこの駅の華だった。
・特急かもめ号には885系車両も使用されている。以前は専用カラーということで黄色い帯の車両が運用に就き、先頭車両や各車両にカモメをデザインしたエンブレムが取り付けられていたが、現在では特急ソニックのブルーラインに統一されてしまった。写真はかもめ号のものではないのが残念だが、この車両が使用されている。
885系と一言に言っても、微妙な差異がある。はっきりわかりやすい点としてはワイパーの本数、そしてその下のライトの大きさ(特に横幅)。ライト部分が小型なのが従来からかもめ用編成として運用に就いていた初期型(以前は黄色いラインだった)で、ライトが大型のものが以前特急ソニック専用だったタイプ。さらに、連結器カバーから側面に少し回り込んだあたりの「えくぼ」のようなくぼみの有無も異なっている。現在は帯色も運用も共通となった。