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寝台特急あさかぜ号のプチ・ストーリー
◆東京~下関・博多の寝台特急として活躍したブルートレインあさかぜ号。
寝台特急富士やさくらを差し置いて、元祖ブルートレイン・20系車両をいち早く導入した、寝台特急のビッグネーム。また、ヘッドマークのデザインを外部デザイナーに外注した最初のマークということで、先進的な印象が強い。
車両設備の面でも、JR化前後には4人個室カルテットやロビーカーなどを導入し、時代を切り開く先駆け的な役割を担ってきた。また、1964年から65年にかけての1等寝台車6両連結の編成はこの時代としては圧巻の豪華編成だった。
しかし、時は流れブルートレインを初めとした夜行列車全体の衰退という逆風の中、最後まで残ることはできずに姿を消した。余談ではあるが、寝台特急サンライズ出雲・サンライズ瀬戸用の285系電車にはサンライズあさかぜという愛称幕が含まれているらしく、案としては存在したことをうかがい知ることができる。確かに、下関発着であれば直流区間で完結するわけだから設定そのものの障壁は低いように思える。しかしながら今のところ実現する見通しはない。
また、個人的な予想では、下関発着の、機関車交換を必要としない あさかぜ号がいわゆる東京~九州方面のブルートレインの中で一番最後まで残ると思っていたのだが、どうやら大きな勘違いだったようだ。
(*画像提供:Teru-t2様)
◆寝台特急あさかぜ号のトレインマーク
ブルートレインといえば、夜をイメージさせる列車名が多いような気がするのだが、この列車はさわやかな朝を強調したネーミング。そんな「あさかぜ号」のヘッドマークは緑の中を走るそよ風の印象より、風格を感じさせる高貴な風を連想させられる。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
寝台特急さくら号のルーツとなった特急さちかぜ号が愛称変更された理由が「あさかぜ号と似ていて紛らわしいから」というエピソードは有名だ。
このあさかぜ号の円形ヘッドマークには本州用と九州用があって基本的なデザインは同じコンセプトなのだが、九州用の場合は英字表記がないことが特徴的だ。そのデザインはあさかぜ号ブルトレ化当初のHMに準じたものであり、国鉄特急が初めて外部デザイナーに外注したことが関係していると思われる。つまり、国鉄はその後の設計時に「ローマ字表記はやはり必要」と判断したものの、九州では復刻のような意味合いでこれを採用したというところだろう。
なお、20系登場時のヘッドマークは列車名の下の風が3本描かれているので見分けられる。ちなみに、英字表記のないヘッドマークが単独列車で使用された例は、このあさかぜ号と寝台特急鳥海号のみだった。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
テールマークは文字のフォントがHMとは大きく異なる。爽やかさに軽やかさを合わせたような印象だ。
◆寝台特急あさかぜ号の画像
長い間定期列車で2往復走ったあさかぜ号の名は広く知られていたようで、鉄道ファンでない人であっても「ブルートレインあさかぜ号は知っている」という人が多かったように思う。最盛期であった1971年末から1975年3月改正前までは、定期列車3往復に加えて臨時の51号が入る超過密状態が見られた。14系を使用したイメージは薄いが、実は20系がメインだった最盛期の3往復のうち1往復は14系客車での運転だった。1往復削減の時に姿を消した。
その後、24系25形時代が長かった寝台特急あさかぜ号だが、その姿は時代と共にいろいろな変化を遂げてきた。ロビーカー(デュエット車両の半室)の導入などもその一例だったが、外見上のインパクトでは金帯化が大きな変更と言えるだろう。
とはいえ、この金帯はどちらかと言えば「おうど色」的な色であり、従来の装飾だったステンレス帯から比べると「輝きが失せた」、まるで寝台特急の行く末を感じさせられるような色だったように思う。もう一つの特異な時代としてスハ25形連結時代がある。
パンタグラフを装備してカニ24を連結しない編成が存在した1990年代以降だ。ブルートレイン便が廃止されて荷物車が不要になった後、すべてその形でも良かったような気がするが、寝台特急そのものが全廃へと向かう中、そんな議論そのものが不要となった。
◆臨時寝台特急あさかぜ号の画像集
1980年代には20系客車を使用した臨時寝台特急が数多く見られていた。そして、この1983年の場合は51号というように50番台の番号が列車に付された。後には81号など、もっと大きい番号に変更された。中にはデザインテールマークが用意された臨時特急もあったが、おそらく東京口の臨時ブルートレインには用意されなかったと思われ、あさかぜ号も文字のみのままだったと思われる。