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寝台特急安芸号のプチ・ストーリー
◆ 新大阪~下関を呉線経由で結んだ寝台特急安芸。1975年(山陽新幹線・博多開業時)に20系客車を使用して登場したが、前身の急行音戸号時代と変わらないスピードであったことや、特徴ともいえた呉線経由でありながら呉線沿線の利用者にとって有効とは言えない時間帯に通っていたことなどの要因から、わずか3年半後の1978年10月に廃止された。
なお、呉線経由であったこと以外は寝台特急明星号が役割を引き受けるのに十分な存在だっただろう。また、よく誤解されている「急行安芸・急行あき」からの格上げではないことも添えておきたい。
◆寝台特急安芸号のトレインマーク
イラスト・トレインマークが初めて採用されるようになったゴーサントウ(昭和53年10月)ダイヤ改正で廃止になったため、イラスト・テールマークは存在しなかった。
ヘッドマークについては、特急になってからのものは存在が確認できていない。おそらくなかったものと思われる。ちなみに、急行時代には特急と同じ漢字表記の「安芸」号とひらがな表記の「あき」号があり、漢字表記の方は急行東海号や急行なにわ号に見られたタイプのトレインマークが使用されていたようだ。