⇒ 特急つばめ号(国鉄)のデータファイルはこちら
特急つばめ号(国鉄)のプチ・ストーリー
◆特急つばめ号。 東海道本線を代表する特急列車として、戦後初の国鉄特急である特急へいわ号が1949年9月から東京駅~大阪駅間で運転を開始し、愛称公募により1950年1月1日から改称してつばめ号となったもの。1950年5月に追加して登場した姉妹列車、特急はとと共に、東京~大阪間を9時間で結んだ。
なお、戦前から戦時中にかけて(1930年10月1日~1943年10月1日)走っていた特急燕号もテールマークにはひらがなで「つばめ」と表記されていた。その頃のマークは表記が垂直に配置されていたようだ。
写真は、京都鉄道博物館に展示されているC62-2で、デフにつばめの形のエンブレムがついていることで知られる。
当初はEF55が浜松までの電化区間を牽引し蒸気機関車にバトンタッチしたが、EF57やEF56そしてEF58などの電気機関車が花形運用についていた。東海道本線が全線電化完成した1956年11月からはSLがお役御免となりEF58のロングランとなった。
この「つばめ号」という愛称は国鉄の歴史において最上級の“格”に位置すると考える人も多いようで、九州新幹線の各駅停車型列車として設定されることについて決定された際に物議をかもしたりもした。
※九州新幹線つばめ号・特急つばめ号(九州)は別ページ
※ 画像提供:Teru-t2様ほか(画像のEF58は車両基地公開での再現)
◆特急つばめ号のトレインマーク
SLファンの方なら「特急つばめ」と聞くと「C62」の大きな姿と、デフレクタ―に貼られた「つばめエンブレム」がすぐに思い浮かぶという方が多いのではないだろうか。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
1940年代はトレインマークと言えば最後尾につくテールマークのみだったが、この特急つばめ号のヘッドマークが先頭を飾る「ヘッドマーク第一号」となった。大阪鉄道管理局の試みだったようで当初は非電化区間のSL(浜松~大阪)にのみ装着され、EF58が投入されてからその先頭をも飾るようになったと思われる。
そして、客車の最後部では円形の行灯式テールマークが煌々と輝く姿もしかり。豪華な展望車両に華を添え、ますます高嶺の花を印象付けたことだろう。このマークと「戦前からの燕号」のテールマークは非常によく似ているがひらがなが斜めに配置されているのと垂直に配置されているものという違いがある。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【テールマーク登場】1950年1月1日(と思われる)
【テールマーク引退】1960年5月31日
(翌日から151系電車化)
【テールマーク使用期間】10年5カ月
EF58が牽引していた頃、先に述べた1羽タイプのヘッドマークと並行してテールマークのデザインに準じたヘッドマークも使用された。背景が「紺色」のものと「白」のものが存在し、どういう使い分けがあったのかは現在も調査中。ご存じの方がおられたら教えていただきたい。
1980年代前半あたりからは、主に14系客車を利用して運転されるリバイバル特急列車がいろいろと企画されて走るようになった。つばめ号・はと号・平和号などが運転されたが、そのトップバッターとしてこの特急つばめ号が走ったと記憶している。EF58、茶色の61号機に牽かれて走る姿に夢中になったのが昨日のようだ。
いずれも、近くでよく見てみると、なんとも筋肉質の様な厳ついシルエットなのだが、これでこそSL界のフラッグシップともいえる車両らしさが感じられるというもの。とはいえ、2号機、18号機に加え、12号機に付けられていた(らしい)以外は装着はなかった様で、C62=つばめ というイメージは事実とは遠い。
151系・485系電車特急つばめ号
東海道新幹線開業前の4年ほど、東京~大阪間を151系を使用して走った。その後のつばめ号はどんどん活躍の場を西に移していく。興味深いのは新幹線開業後、新大阪発着で博多に達した時期。151系は直流電車であるため九州で自走はできないのだが、EF30(関門トンネル区間)とED73(門司以西)といった電気機関車に牽いてもらい、車内電源は電源車サヤ420形を機関車と旅客編成の間に挟むことで博多に達していたのだ。1964年10月からちょうど1年間限定、481系が投入されるまでのつなぎ期間の出来事だ。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1960年6月1日
【HM引退】1975年3月9日
(翌日山陽新幹線博多開業)
【HM使用期間】14年9カ月
その後このマークは481系~485系へと受け継がれる。「つばめ」の文字の部分が白帯のようになっていたのが一つの特徴だ。