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特急まつかぜ号のプチ・ストーリー
◆ 新大阪・大阪~米子を福知山線・山陰本線経由で結ぶ特急列車として1986年まで運転されていた特急まつかぜ号。キハ82系からキハ181系へと受け継がれた特急まつかぜ号は、最盛期には1往復が大阪から九州の博多まで、もう一往復は米子までを結ぶ2往復体制だったが、1985年に系統分割によって米子以西は特急いそかぜ号に譲り、1972年の特急白鳥号電車化以来保ってきた気動車での最長距離特急のタイトルも途切れることになった。
その後1986年の福知山線の電化開業によって城崎駅(現:城崎温泉駅)までの短距離電車特急北近畿として生まれ変わり、愛称が消滅した。その後、2003年に米子~益田間の特急くにびき号の愛称変更によってスーパーまつかぜ号として再登場し、現在に至っている。ちなみに、特急北近畿号もすでに改称して特急こうのとり号となり、活躍を続けている。
◆特急まつかぜ号のトレインマーク
関西圏発着のディーゼル特急として同時期に活躍した列車は、特急はまかぜ号や特急あさしお号があったが、最後までキハ82系を使用していたのがこの特急まつかぜ号だった。その間は終始文字のみのトレインマークが使用されていた。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1985年3月14日
【HM引退】1986年10月31日
(翌日から特急北近畿)
【HM使用期間】1年7カ月
しかし、キハ181系への変更と時を同じくしてトレインマークにようやくイラストを採用した。山陰地方の日本海と空を描いたブルーの濃淡と松林が、まさに車窓から時折見える景色とよく調和している。
しかし、先行してキハ181系化された2・3号は米子発着、そして後に1・4号もキハ181系化された時には同時に系統分離で米子発着に。したがって、このマークは米子以西には達しなかったマークということになる。
この画像は、新大阪駅で撮影した1984年の画像。この頃新大阪発米子行はキハ181系だったので、このキハ82系は大阪駅への送り込みの途中だったのかもしれない。
下の画像は「特急まつかぜ1号」。何度となく見た光景なのだが、出発を待つホームの隣りに、長旅を終えて到着した寝台特急日本海2号の姿が並ぶシーンだ。