【愛称別トレインデータ館】へはこちらから

寝台特急なは号◆ヘッドマーク&テールマーク事典

スポンサーリンク

⇒ 寝台特急なは号データファイルはこちら

寝台特急なは号のプチ・ストーリー

◆京都~熊本を結ぶ特急列車として2008年3月まで運転されていた寝台特急なは号。九州に向かうブルートレインとしては2009年廃止の寝台特急富士寝台特急はやぶさ号に次ぐ、末期まで運転されていた寝台特急。関西発に限ると、最も遅くまで単独運転、その後日豊本線を走る寝台特急彗星号の廃止に伴い、寝台特急あかつき号の併結対象となり、編成の短縮、そして同時廃止の運命をたどった。1980年代には全く同じ区間設定の寝台特急寝台特急明星号)が存在した時代があったことで知られる。愛称設定の経緯を考えての特例措置だった。

元々この愛称は、琉球新報社と那覇市が1967年当時、『本土に沖縄の名が付く列車を走らせよう!』をスローガンに列車名を公募したものだ。1968年、特急かもめを「なは」に名称変更し、キハ80系の昼行特急として登場したが、後に485系電車化され、さらには583系電車寝台特急へと転身、そしてブルートレインに変更されたことなど、興味深い歴史をたどっている。

廃止の後、鹿児島県阿久根市の「NPO法人ブルートレイン阿久根」にて宿泊施設として保存・営業していたが、2014年5月末頃に休業、閉鎖になっていた。その後、香川県善通寺市の岸井うどん店長によって企画されたクラウドファンディングが成功し、新天地への移設が決定した。Twitterアドレス⇒ https://twitter.com/kishiiudon

※画像提供:KOGANETURBO

◆寝台特急なは号のトレインマーク

「なは」のトレインマークにはいずれも南国の植物が描かれている。左側は調査中だが、右側は「芭蕉の葉」で、バナナに似た実(食用向きではない)をつける植物だという。

2008年3月14日の寝台特急「なは」最終列車の運転後、JR九州から那覇市に贈呈されゆいレール旭橋駅で展示していたが、那覇市役所での展示を経て那覇市歴史博物館へ移された。

寝台特急なはヘッドマーク(EF65PF・EF66)

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1984年2月1日
【HM引退】2008年3月15日
(最終運転到着日)
【HM使用期間】24年1カ月

本州から九州本土までしか走らないのに、沖縄県庁である「なは」という名前は、意味がよくわからなかったが、アメリカの支配下にあった沖縄の返還を願う意味を込めて付けられた後、ずっと変わらず使用され続けたと言うことらしい。関西~九州のブルートレインの中では一番最後まで単独運転をしていたのがこの特急なは。だから、単独ヘッドマークも一番最後まで見られた。

上のマークはブルートレインの最後尾を飾ったイラスト・テールマークだ。ヘッドマークとは「なは」の文字の形が少々異なっている。わかりやすい部分は「は」の左の縦棒の曲がり具合だ。これと近い形で583系寝台電車の横長トレインマークも存在した。比較すると文字間隔や大きさなどの差異もよくわかる。

複合型HM「なは・あかつき」

寝台特急あかつき・なは複合ヘッドマーク

寝台特急あかつき・なは複合HM本州型

関西~九州のブルートレインとしては最後まで走った「なは・あかつき」号。本州で使用されていたのが赤と青のデザイン。EF66の先頭を飾っていたのがほんの昨日のように思える。南国の植物のデザインが白く描かれているが、全体のバランスを考えると主張しすぎないための良いチョイスだと思う。

寝台特急あかつき・なは複合ヘッドマーク・九州型

寝台特急あかつき・なは複合ヘッドマーク・九州型

葉が緑のHMはJR九州管内で使用されていた複合型トレインマーク。左のものとは異なり、上下分割ではなく、重なり合うタイプのデザイン構成となっている。意外にもごちゃごちゃせず、なかなかいいバランスでまとまっているのではないだろうか。このマークは九州特有の中央にふくらみがある中華なべ型だ。

車両のバリエーションも豊かで興味深い列車だった。レガートシートはあかつき号のものとは異なり、ブルートレインのカラーリングに準じたものとなっていた。

◆寝台特急なは号の画像集

寝台特急なは号・あかつき号

寝台特急なは号・あかつき号EF66

上の2枚は京都駅に到着して、次の特急雷鳥号、ワイドビューひだ号に乗る、そんな利用者も見られていた末期。EF66は「まだまだやれるのに」と言っているように見えて仕方がない。それでも、アーバンネットワークの新しい車両たちに囲まれると、いかにも「ロートル」な印象に見えてしまう。寝台特急なは号・新大阪駅

右の写真は1987年の新大阪駅で。まだ車体も鮮やかな青に輝くブルートレインなは。新大阪駅の大きくカーブしたホームで見ると特に、その編成の長さが際立って、これぞブルートレインだと誇らしげに見えてくる。まだまだ将来は安泰と思えたあの頃。運転区間も、末期の熊本ではなく、それよりずっと先の、西鹿児島(現:鹿児島中央)発着だった。

先の写真との細かな相違点を挙げると窓枠の押さえゴムが黒ではなく白いゴムであり、テールマーク周りの白い枠とともに、やはり印象が違っている。また、妻面の一番下をみるとやや下の方まで覆われる形になっているのがわかる。これはこの形式の初期の形状で、ミニスカートならぬ、マイクロスカートと呼ばれる形状で、後に短い形状に変更されていった。

保存

タイトルとURLをコピーしました