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特急雷鳥号◆ヘッドマーク事典

特急雷鳥ヘッドマーク・ボンネット型
特急雷鳥ヘッドマーク・ボンネット型
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特急雷鳥号のプチ・ストーリー

raicho12◆大阪~金沢・富山・和倉温泉の特急として2011年3月まで運転されていた。そのスタートは時代を反映してか、481系交直流車両の落成の遅れによってダイヤ改正時から3か月近く遅れてとなった。1964年10月ダイヤ改正で華々しく登場させたかった様だが、実際には12月25日に大阪~富山間でデビューした。

583系臨時特急雷鳥

583系臨時特急雷鳥

その後も急行加賀急行ゆのくに急行立山などの特急格上げによって、また大阪~新潟間を結ぶ特急北越も編入するなどしてどんどん勢力を拡大して、名実ともに北陸路を代表する特急列車となっていった。新潟発着のものについては、後の2001年3月に金沢以北の系統分離によって特急北越となり、雷鳥は金沢発着に変更。

特急雷鳥ヘッドマーク・485系貫通型

特急雷鳥ヘッドマーク・485系貫通型

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)

485系・583系、臨時では14系客車も使用して運転されていた。現在はそのすべてが681系・683系車両に置き換わったことから特急サンダーバードに完全に務めを譲り、特急雷鳥の愛称も消滅した。特急雷鳥号からは数多くの派生列車もあり、ゆうトピア和倉号のような「電車+気動車」の組み合わせへのチャレンジなど、語りつくせぬほど話題を振りまいた。

◆特急雷鳥号のトレインマーク

特急雷鳥ヘッドマーク・485系

特急雷鳥ヘッドマーク・485系

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)

関西の国鉄ファンにとっては最も馴染み深い特急といえる雷鳥。大阪駅に行くと必ず出会えた。北陸路においては名古屋発着の特急しらさぎと並ぶ代表選手だったと言えるだろう。

トレインマークは雪をかぶった立山とそこの岩場にたたずむ雷鳥の姿が描かれたものだった。

特急雷鳥ヘッドマーク・ボンネット型

特急雷鳥ヘッドマーク・ボンネット型

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1982年11月15日
【HM引退】2003年9月21日
(ボンネットのみ引退)
【HM使用期間】20年10カ月

この、水色をベースとしたヘッドマークは、雪景色の中を走る雷鳥号との相性が抜群で、特に国鉄特急カラーの485系でのその姿は素晴らしかった。白山色・上沼垂色など、いくつもの485系のカラーバリエーションとコンビを組んだ実績があった。

特急雷鳥ヘッドマーク・583系

特急雷鳥ヘッドマーク・583系

少々異色の存在だったのが583系特急雷鳥号のヘッドマーク。横長であるという意味では485系ボンネット型と同じような配置や文字の大きさを採用してもよさそうなものだが、意外なほどダイナミックな文字が配置されており、力強さを感じる。

583系のHMは全般的に文字が小さいイメージが強いのだが、このマークと寝台特急彗星だけは異色の存在と言えそうだ。

特急マリン雷鳥ヘッドマーク・485系

特急マリン雷鳥ヘッドマーク・485系

臨時特急の設定にもバラエティー豊かだった特急雷鳥ファミリー。「マリン雷鳥」号は1991年~1992年の夏季に運転されたいわゆる海水浴臨の一つのようだ。

特別に誂えたイラストマークではあるが、大阪~金沢という設定に別の愛称が必要だったのか、また海水浴のイメージがあるのか、非常に微妙な存在ではあった。

イラストマーク導入前の特急雷鳥HM

一方、1984年11月~1985年2月にかけての臨時特急雷鳥61・62号には14系座席客車も使用された。テールマークは文字だけだったようである。

特急雷鳥テールマーク・14系

特急雷鳥テールマーク・14系

同じく文字マークで運転されたものの中に、キハ82を使用した臨時特急雷鳥の設定もあったようだ。1967年~1969年にかけての時期である。この時期はまだ481系時代で、1969年の夏に50/60Hz両用の485系が雷鳥運用のために落成し始めた事から、特急用電車が足りていなかった時期だと理解できる。ちなみに、その際の文字マークは明朝系の文字だったようなので、14系座席車のテールマークとは異なっていた。

ボンネット型ヘッドマーク・バリエーション

忘れてはいけないのがこちら、ボンネット型の文字HMの特急雷鳥。こちらのヘッドマークについてはローマ字表記が特殊なものがいくつか存在したことが知られており、おそらく標準が「RAICHŌ」。そして「RAICYO」と表記されたものや「RAICHIYO」(もはや雷鳥と読めない)と書かれたものまで確認されている。確かに複数の表記方法が考えられる愛称であり、もしかしたら「RAITYOU」など、さらに異なる表記もあったのだろうか?と探してみたくなる。

ボンネット型特急雷鳥のRAICHO文字HM

ボンネット型特急雷鳥のRAICHO文字HM

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1964年12月25日
【HM引退】1982年11月14日
(翌日からイラスト化)
【HM使用期間】17年10カ月

※ 以下の2種類についてはおそらく追加製作などの際に確認不足で作られたなどの理由と思われ、使用時期などの情報は正確に得ることが難しい。

ボンネット型特急雷鳥のRAICHIYO文字ヘッドマーク

ボンネット型特急雷鳥のRAICHIYO文字HM

ボンネット型特急雷鳥のRAICYO文字ヘッドマーク

ボンネット型特急雷鳥のRAICYO文字HM

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)

ちなみに、漢字表記の形にもいくらかの差異が確認できる。

◆特急雷鳥号のバリエーション

(画像提供:YOMPAQ様・K-office様・kogane-turbo様 無断使用禁止)

上沼垂色雷鳥号ボンネット

上沼垂色雷鳥号ボンネット

まずは新潟の上沼垂色と呼ばれるカラーリングの485系2スタイル。当初は鉄道雑誌でも「雷鳥カラー」と呼ぶものもあったほど、この塗り分けの代表=雷鳥という位置づけだったようだが、今では特急北越や特急いなほのイメージが強く、特急みのり号や特急白鳥号など幅広い運用についていたことでも知られる。

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ボンネット型のご紹介から。ボンネット車両用イラスト・トレインマークが採用されるまでは、漢字とローマ字の併記による文字だけのマークだった。その際ローマ字部分が「RAICYO」または「RAICHO」とまちまちだったらしいが、イラスト・トレインマークの登場によってそんな不思議は過去のものとなった。

このイラスト・マークをボンネット車にも採用したのは1982年11月15日のダイヤ改正ごろから。200番代や300番代から遅れること約4年のことだ。私自身はその11月17日、大阪駅3番線ホームで特急あかつき3号を待っていたときに4番線に入ってくる上りのボンネット雷鳥において、初めてこのマークを見た。

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新大阪駅の大きなカーブでもすっかり収まってしまうようになった引退直前の雷鳥号は6両編成。その少し前までは9両編成だったが、私が初めて乗った1981年時点では12両編成だった。当時は食堂車が連結されていて、これこそ特急の姿という、豪華な印象があった。

このあとの画像は共に関西の鉄道史を飾ってきた国鉄型特急車両が顔を並べる瞬間。大阪駅11番線の、赤みを帯びたライトの下では車体も非常に鮮やかで、まだ第一線で活躍できそうに見えるが、特急はまかぜのキハ181系共々老朽化は否めない事実。大勢力化したサンダーバードにあとを委ね、ついに去ってしまった。

特急はまかぜ&雷鳥九州向けの電車寝台特急が全盛期の頃は、その間合い運用でL特急雷鳥その他、昼行特急列車にも583系が使用されていた。天井が高くて開放感がある通路が特徴だった。 同じ車両は九州では特急有明や、特急にちりんにも使用されていたため、トレインマークの幕を回転する際に寝台特急明星などに加えてまれにそれらのマークが登場することがあり、子どもながらに大喜びしていたことを思い出す。

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