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急行さんべ号◆テールマーク事典

20系寝台急行テールマーク
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急行さんべ号のプチ・ストーリー

◆ 米子~九州を結ぶ急行列車として1968年10月から活躍し、1997年3月に鳥取~小倉(急行区間は米子~下関)の列車として使命を終えた、山陰本線西部の急行。愛称の由来となったのは島根県中央部にある三瓶山(さんべさん)。

実は、この三瓶という漢字表記の列車は1961年10月から存在した。しかしそちらは大阪~浜田・大社という区間設定で、急行出雲号から引き継いだスジで運転されたもの。そして、急行列車の愛称を整理・統合した1968年に急行だいせんに統合され、三瓶の愛称はひらがなに変更の上で山陰西部にコンバートされたという歴史がある。

この急行さんべ号も、急行なかうみ(米子~小倉)、急行やえがき(米子~熊本)、夜行急行しまね(米子~博多)という3つの列車を昼夜の区別なくまとめたものとしてスタートした。興味深いのは急行やえがきの流れをくむ1往復で、長門市~下関間で2つの列車に分かれてそれぞれ山陰本線経由 / 美祢線経由の2パターンになって再び合流する列車だったこと。離婚再婚列車などと揶揄されることもあったようだ。この列車は1985年3月に急行さんべが1往復になる直前まで見られた。

夜行の急行さんべに注目すると、北海道を除くとこの列車にしか使用されなかったオロハネ10形(2・3等合造寝台)がみられた。1978年には12系+20系寝台車という編成に変更されたが、1984年2月改正で廃止されて昼行のみとなった。

急行さんべ号のトレインマーク

ここで紹介するのは20系寝台客車でのテールマーク。1980年前半までの活躍で姿を消したので、列車固有名を示すテールマークが用意されることはなかった。

20系寝台急行テールマーク

「急行/EXPRESS」という文字のみが表示され、ほんの少し前までは特急専用車両でしかも走るホテルと言われていた車両の誇りなのか、まるで「急行の手伝いもしてやっているだけで、俺は特急用だ」という声が聞こえてきそうに思えたものだ。

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