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寝台特急彗星号のプチ・ストーリー
◆ 新大阪~都城・宮崎などを結ぶブルートレイン(時期によって変化あり)として2005年まで活躍した寝台特急彗星号。
彗星の愛称そのものは急行銀河号などと並び、東京~大阪を結ぶ夜行急行としてデビューしたものだったが、東海道新幹線開業の1964年10月1日改正で廃止されてから4年のブランクを経て1968年10月1日改正で寝台特急として再び登場。その後、ブルートレインとしてだけでなく583系の国鉄型寝台電車を使用して運転された。
南九州方面が新婚旅行のメッカと言われた時代には大変重宝され、最大5往復を誇ったこともあった。1984年からは機関車につく丸型ヘッドマークも復活採用されたりしたが、夜行列車の衰退と共に数を減らし、2000年3月のダイヤ改正では寝台特急あかつき号との併結運転を実施するほどにまで編成短縮された後、2005年に姿を消した。
余談だが、同様の区間には夜行急行日南号(2代目)⇒夜行急行くにさき号が並行して運転されていた時期もあった。
※列車画像提供:Teru-t2様
◆寝台特急彗星号のトレインマーク
単独の円形トレインマークは非常に古めかしい、昭和前半のデザインと言ってはいけないだろうか。しかし何とも言えない味わいあるデザインであり、特に過去の写真などでEF58の先頭に取り付けられた姿を見ると、非常に親しみを感じてしまう。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1968年10月1日(~1975年3月10日)
【HM再登場】1984年2月1日
【HM引退】2000年3月11日
(翌日からあかつき併結開始・中華鍋風九州型は存続)
【HM使用期間】合計22年6カ月
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【HM登場】1984年2月1日
【HM引退】2005年10月1日改正
(最終運転到着日)
【HM使用期間】21年8カ月
現役末期にあかつきとの併結により、複合ヘッドマークになってしまった時期にも、九州内では最後まで単独トレインマークを見ることができた。九州のブルトレHMと言えばやはり中華鍋のような「中央膨らみ型」ヘッドマークだろう。このタイプは平面型とは異なる光と影が独特の雰囲気を醸し出し、また違った味わいを感じられた。
なお、見比べるとよくわかるが文字のフォントが少々垢抜けた感じで、どちらかと言えばテールマークや583系タイプと同様の文字の形をしている。このタイプはおそらく1984年2月に九州で全国に先駆けてHM復活が実現したタイミングで登場したものと思われる。
ところで、意外な事実だが、九州内での装着HMはこの中華鍋タイプのヘッドマークだけではなく、平坦で厚みのあるヘッドマークも掲げられていたようだ。
あかつき併結の複合ヘッドマーク
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【HM登場】2000年3月11日
【HM引退】2005年10月1日
【HM使用期間】5年6か月
末期に活躍した「彗星・あかつき」混合型トレインマークは見事なまでに垢抜けしたデザイン。和文・英文いずれのフォントも質の高いものになっている。本州内のEF66直流電気機関車のヘッドにこの複合マークが使用されていた。
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【HM登場】2000年3月11日
【HM引退】2005年10月1日
【HM使用期間】5年6か月
あかつき号にとっては、ころころと代わっていった併結相手の2番目、特急明星の後で「特急なは」の前の相手となる。 余談だが、彗星は国鉄製の特急形寝台車両形式をすべて使用した数少ない列車でもあるようだ。廃止直前は併結運転に都合のいい14系15型による運転だった。それと同様にに多種多様な車両を使用した例としては寝台特急ゆうづる号があるが、客車では14系15型、電車では581系(M車)は使用しなかった。
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【HM登場】1978年10月2日
【HM引退】1984年2月1日
【HM使用期間】5年4か月
夜行列車には天体に関係した名前が多く採用されているが、まさにその一つとして彗星号がある。
明星(天体としては「金星」と同一)やあけぼの、あかつき などの現象とは異なり、実際に目で見ることの少ない「天体」としての彗星。
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【TM登場】1979年7月1日
【TM引退】2005年10月1日
【TM使用期間】26年3か月
それゆえか、ありがちなこととして「流れ星」と混同されてしまうことがあるようだが、このテールマーク(また583系タイプ)のイラストもそんな印象を与えてしまう。とはいえ、デザインとしては非常にバランスが良くて好印象な上、夜行列車のイメージにもぴったりでもある。
◆寝台特急彗星号の画像集
上の583系の画像は1982年の大阪駅。このころはまだ寝台特急の約半数が電車だったが、この後急激に活躍の場を失っていき、主役は客車・2段式寝台となっていった。