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特急月光号のプチ・ストーリー
◆ 世界初の昼夜兼用車両581系を使用する初の寝台特急として設定された当初は新大阪~博多を結び、昼行の特急みどりとコンビを組んで昼夜を問わず走る特徴をいかんなく発揮していた。それから5年後の1972年3月からは岡山~西鹿児島・博多を結ぶ寝台特急列車として1975年まで運転されていた。
【参照:581系・583系に名を刻んだ名列車たち 】
いずれも、東京方面からの新幹線利用者の乗り継ぎを考慮に入れた設定だった。これにより、山陽新幹線全通以前の東京~博多間移動が飛躍的にスピードアップしたゆえ、寝台特急あさかぜ号を全区間利用するより「乗り換えをしてでもこの乗り継ぎを選ぶ」という利用者が少なくなかったと言われている。特急月光号の役割は引き続き運転されていた寝台特急明星号や寝台特急あかつき号などによりカバーされた。
しかしながら、上記列車の登場前にも急行月光号という列車が東京~大阪間に設定されていたことがある。急行銀河、急行明星、急行彗星とともに東海道夜行として共存し、客車での設定であった。とりわけ最初の3年間はSLによる牽引だったことは歴史の重みを感じる点の一つと言える。同列車の設定期間は1953年11月11日~1965年10月1日ダイヤ改正の12年弱であった。つまり、その後2年のブランクの後2代目となる寝台特急月光号が登場した。
◆特急月光号トレインマーク
1967年10月に登場した際、新開発の電車寝台車両581系を使用したため、同形式が「月光型電車」と呼ばれるようになったことは有名だ。当初は新大阪~博多を結んでいたが、1972年に新幹線が岡山延伸を果たし、運転区間がスライドする形となった。1975年に山陽新幹線全線開業となった際にその他の多くの特急と共に廃止となった。いかんせん、時代が時代。あまりにも早く消えてしまったため、トレインマークにデザインはなく、文字のみの表記のトレインマークしか存在しなかった。
九州鉄道記念館にて現在も屋外の屋根付き展示場で見ることができるほか、京都鉄道博物館で展示のクハネ581も月光号の表示になっていたことが確認されている。タイフォンカバーの違いがあって面白い。
なお、九州鉄道記念館のものは715系に改造されたものを塗装しなおしているので内装は581系ではない。