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寝台特急きりしま号のプチ・ストーリー
◆ 京都~西鹿児島(現・鹿児島中央)を結んで583系電車寝台を使用して活躍した寝台特急きりしま号。1970年10月に月光・金星・明星に次ぐ4番目の九州方面583系寝台特急として登場した。愛称そのものは1950年11月から東京~門司間の急行に付けられたのが始まりで、寝台特急の設定のために「きりしま」の名を譲り受ける形で途切れることなく移行した。(とはいえ、一時期漢字表記の霧島となっていた)
転機となったのは1975年3月。関西~鹿児島本線の夜行特急の愛称を寝台特急明星と寝台特急なはに改められることになり、きりしまは突然の終わりを迎えた。
愛称は臨時急行として1990年7月によみがえり、20系の夜行急行霧島(漢字表記)として活躍した。JR発足前後に関西発着の臨時寝台特急に多く使用されていた20系は1990年代にはずいぶん老朽化しており、特急としての運用をあきらめざるを得ない状況だった。そのため、臨時運転していた寝台特急明星を急行に格下げして登場したのがこの急行霧島だった。それでも、20系車両の老朽化は急行としての運行さえも難しい状況になり、ついに1995年1月初めまでで運転を終了した。
一方で、九州・日豊本線の特急の系統分割が実施されることになり、わずか2か月半後には特急きりしま(宮崎~西鹿児島)へと受け継がれることになり現在に至っている。
寝台急行霧島号のトレインマーク
同時期に存在した関西~九州の20系臨時寝台急行のテールマークはしっかり作りこまれた印象だったが、その中で最もシンプルで地味なデザインだったのがこの急行霧島だった。
寝台特急きりしま号のトレインマーク
電車特急におけるイラスト・トレインマークの一斉採用が1978年10月から。そして、寝台特急きりしま号の廃止が1975年ということで、この列車にイラストマークが採用されることはなかった。583系先頭の横長表示窓にはひらがなの「きりしま」の文字と、ローマ字の「KIRISHIMA」の文字だけが輝いた。夜行で活躍した583系特急列車の中では「月光」と「きりしま」だけがイラストマークを持っていなかったことになる。
(マークは今後トレース予定。鮮明な画像をお持ちの方がいらっしゃいましたらご協力いただければ幸いです。)