急行雲仙号のプチ・ストーリー
◆ 初期には東京~長崎の急行として寝台特急さくらを補完する役割で、また1968年から1980年には関西と長崎を結んだ。1975年からは特急型の14系座席車が初めて急行列車に投入され、その第一号として話題を振りまいたが「全車指定席」の設定が大きなあだとなり、リーズナブルな旅行を楽しみたい人が軒並み離れていく事態を招いてしまった。またそれは、郵便車・荷物車・食堂車・ロネ・ハネ・ロ・ハ と揃い踏みの、いわゆる完全セットの編成が一気に味気なくなったような編成でもあり、ファンも魅力を感じなくなったという側面がある。
翌年には自由席を設置するも人気回復には至らず廃止となってしまった。なお、1980年の廃止の際は同区間を走る寝台特急あかつき号(当時2往復)に役割をゆだね、寝台特急オンリーの時代に突入した。
それから10年後、臨時特急あかつき81号・82号を20系客車の設備老朽化を理由に急行格下げし、そのままの編成で同区間の臨時急行雲仙として復活、1990年から1994年にかけて活躍した。電源車+6両の形は終始変わらなかったが、時折貫通型の緩急車「ナハネフ23」が使われて楽しませてくれた。
※写真提供:国鉄型車両ファイル (伊藤)様
◆急行雲仙号のトレインマーク
ここでご紹介しているヘッドマークは臨時急行として活躍した1990年代、おそらくイベント的に使用されたもの。それ以前の定期運転時代にはトレインマークと呼べる類のものは存在しなかったと思われる。
「雲仙」というと、普賢岳が有名なように、長崎県を代表する山。それゆえに急行列車に愛称が採用されるその時に、いち早く採用された愛称だ。35・36レとして始まったこの列車は、運転区間の変遷が物語るように、新幹線の開業や急行列車の総特急化の波に早くから翻弄され、大きな変化を何度も繰り返してきた。