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寝台特急日本海号◆ヘッドマーク&テールマーク事典

な行
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寝台特急日本海号のプチ・ストーリー

◆ 大阪~青森を結んできたブルートレイン寝台特急日本海号。 過去には2往復走り、1往復は青函トンネルを渡って函館行きの時代もあったが、2012年3月に多客期の臨時列車となり、その後2013年始めの冬を最後に運転実績がなく、自然廃止となった。こうして45年ほど続いた歴史が幕を閉じた。寝台特急日本海号11

臨時列車化は同じ日本海縦貫線を走った新潟発着の急行きたぐに号と同時であった。定期列車としての最終形は編成もシンプルで、プルマン式A寝台1両に加えベーシックなB寝台車だけで構成された。以前はB寝台だけのモノクラス編成で、新潟行きの寝台特急つるぎと共通運用だったこともあり、臨時化された最後の1年もそうだった。

日中の特急白鳥号が日本海縦貫線から去った後唯一の「関西~東北直通列車」だっただけに、廃止が残念でならない。(*トワイライトエクスプレスは東北地方に停まらなかっただけでなく、2015年3月で廃止)。 EF81が牽引し、その先頭にヘッドマークが取り付けられていた。時折トワイライトエクスプレス専用カラーの機関車が運用につくこともあったが、カラーコントラストが美しいのはローズピンクのEF81(基本色)との組み合わせだという意見が多かったようだ。

寝台特急日本海のマーク

◆通常時のトレインマーク

寝台特急日本海号は、名前の通りほとんどずっと日本海沿いを走ってゆくブルートレイン。その間電化方式が直流、交流、直流と、コロコロと変わるため、牽引する機関車は交直両用のEF81だ。引退までの最終仕様においてこのヘッドマークをつけて走る機関車はこの1機種。ブルー基調のヘッドマークとローズピンクのEF81機関車との愛称は良く、以前から人気があったがブルートレイン自体が貴重な存在になってからは特に大勢カメラを構える鉄道ファンの姿が沿線各地で見られた。

寝台特急日本海号のヘッドマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1968年10月1日(~1975年3月10日)
【HM再登場】1985年3月14日
【HM引退】2013年1月7日
(臨時最終運転到着日)
【HM使用期間】27年9カ月

時代をさかのぼると、湖西線を走るようになる前は東海道本線をEF58に牽引されて走っていたこともある。また、EF81でもトワイライトエクスプレス専用色の機関車に牽かれたこともまだまだ記憶に新しい。

なお、京都鉄道博物館に展示されているもののように文字が黄色のものが存在したことは間違いないのだが、それがどの程度使用されたのか、何らかの区別があったのかどうかは不明。

日本海テールマーク

寝台特急日本海号のテールマークは、ブルートレインのテールマークとして非常に多いカラーコンビネーション、すなわち背景がブルー・文字が黄色・プラスアルファのデザインが白系で構成されたものだ。ほかにそうした配色をしている列車の代表例としては、寝台特急はくつる紀伊彗星さくら寝台急行銀河などがある。寝台特急なは号などもそれに準ずる配色のデザインだ。
このテールマークと丸いヘッドマークとの差異は少ないが、文字の配色と、★印、そしてローマ字表記の有無など、幾つかの違いはある。

あと、面白いのはこの「波の形」がトワイライトエクスプレスのものとよく似ており、まるでトワイライトエクスプレスが「日本海をグレードアップした列車」であるかのような印象を受けた。

◆臨時寝台特急日本海のトレインマーク

583系寝台特急日本海ヘッドマークここでいう臨時寝台特急日本海とは、定期運転終了後のものではなく、全盛期に増発されていたころのもの。いずれも横に長いタイプのマークではあるが使用された車両は全く異なっていた。1985年10月16日~11月19日のみ運転だった様だ。

「背景がブルーのもの」は583系電車を使用した臨時特急日本海のもの。レギュラータイプとは波の形が全く異なっていることに加え、フォントも一致していない。またよく見ると寝台特急マークのつもりが寝台急行マークが入ってしまっているようだ。

一方、背景が白い方は、臨時特急として20系客車が使用されていた頃のものだ。ずいぶん波が高い日本海になっている。

どちらにも共通して感じるのは「慌てて作った」感たっぷりの手作り風トレインマークだということ。臨時の客車寝台が華やかだったころなので、運用を組むだけでも大変だった頃だろう。そこで払われた精いっぱいの努力の跡は、不恰好ながら見ていて楽しい。

 

◆寝台特急日本海号の画像集

寝台特急日本海号102012年3月に臨時化されるという新聞報道が出て、カウントダウンが始まった12月の寝台特急日本海。ローズピンクのEF81 101号機が牽引する寝台特急というシチュエーションももうわずかという頃。 余談だが、この上りの日本海号が青森駅に入線する際は、上野駅名物の「推進運転での入線」や東京駅でその昔見られたような「機回し作業」などは行われず、DE10が編成全体を牽引し、EF81を最後尾にして入線してきた。

青森駅3番線に入線した上りの寝台特急日本海号。DE10に牽かれてやってきた後、DE10だけ外されて出発のスタンバイ。この日の電源車はひげ付き・ 下ライン付きの非貫通型だった。

数あるブルートレインの中でも最後まで残っていたプルマン式解放A寝台オロネ24。通常の窓の上にある小窓が特徴。かたくなに白いラインを貫いている「過去の遺物」の雰囲気たっぷり。
寝台特急日本海号13ed79・寝台特急日本海
青函トンネルの開通からしばらくの間は北海道へと渡り、函館と大阪を結んでいた日本海1・4号。その先頭に立ったのはED79。札幌まで達するその他の寝台特急とは異なり、DD51が牽引する勇姿を見ることはなかったが、ヘッドマークを掲げてこうして走っていた姿もなかなか堂々たるものだった。


出発を待つ日本海1号。大阪駅9番線にて。1982年。当時は編成全体の向きが今とは逆で、下り列車の最後尾は電源車だった。

大阪駅3番線に到着した上りブルートレイン日本海(おそらく2号だったと記憶)。1986年の、特急まつかぜ号(既に廃止)絵入りヘッドマーク車と並んでいる貴重な写真。両者が共存したのは2年少々の短い期間だった。

寝台特急日本海号6
ヘッドマークのない写真は京都駅6番線に到着した上りの寝台特急日本海4号。撮影したのは1981年12月。この頃、大阪発のブルートレインの機関車にはHMがついていなかった。

寝台特急日本海号8
この写真では、24系25形が使用された編成で銀色の帯であり、しっかりきれいに統一されている。まだ金色の帯が登場する前の段階であり、個人的にはこのままでいてほしかったと思ったほど、クールビューティーを感じていた。

ちなみに、その左、奥の方には電化されて間もない頃の福知山線車両が並ぶ姿が見られる。黄色の103系が時代を物語っている。~1987年7月ごろと思われる。

寝台特急日本海号7

一方で、24系24型車両のみを使用した、白帯の編成もあった。 まだこの頃は客車の数も非常に多かった頃で、現在のように「状態の良い車両をごちゃ混ぜに組み合わせる」ようなことはほとんどなかった。統一感があって美しい。

1986年7月、特急まつかぜ号と並ぶシーン。

20系臨時寝台特急日本海

1980年代後半あたりによく見られた、20系客車を使用した臨時寝台特急日本海。おそらく9:00に大阪駅3番線に到着する日本海82号だと思われる。テールマークもしっかりとしたレギュラータイプのイラストデザインを20系形にアレンジしたものを使用しているのでさまになっている。

しかしながら客車の老朽化とともに急行格下げとなって「日本海」の愛称が20系編成の列車には用いられなくなっていった。

※画像提供:teru-t2様

 

 雨どいが内蔵されていない外付きの車両。最後尾の車両は列車全体のひとつの「顔」なのだから、あまり不恰好なものは取り付けないでほしい。それでも、そんな雨どいの上から白帯がしっかり巻かれているのはひとつのこだわりというべきなのだろうか・・・。

過ぎ去る景色を最後尾で眺めながら旅することができるのもブルートレインならではの旅情の楽しみ方だろう。夕闇迫る大阪の街を後にする乗客はこの車窓を見ながら何を思ったのだろう。

ただし、14系とは異なり青森側の最後尾(上り列車の場合)は電源車なので入ることはできない。(画像提供:YOMPAQ様。無断使用お断り)

 

寝台特急日本海号4
トワイライトエクスプレス専用塗装の機関車がブルートレイン日本海号の先頭に立つこともあった。しかし基本的にはEF81オリジナルカラーであるローズピンクの機関車が今でも先頭に立っている。

ちなみに、寝台特急北斗星の牽引車としてのEF81は似た色ではあるがローズピンクではなくもっと濃い赤の塗装で、流れ星マークがついている。(画像提供:YOMPAQ様。無断使用お断り)

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