急行ちくま号◆ヘッドマーク&テールマーク事典 | HM事典新館
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急行ちくま号◆ヘッドマーク&テールマーク事典

た行
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急行ちくま号のトレインマーク

客車急行ちくま号テールマーク

客車急行ちくま号テールマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【TM登場】 不明
【TM引退】1997年10月1日(383系へ)
【TM使用期間】

 

急行ちくま号にテールマークが初めて採用されたのは12系客車のようだ。本来テールマーク用の表示窓が備わっていない12系だったため、最後尾の貫通扉部分に箱型の表示器を取り付けてこのイラストマークを掲げていた。

その後、14系になってからは表示窓があり、とても自然でスマートな姿になった。

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急行ちくま号ヘッドマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】2003年10月3日(381系での初日)
【HM引退】2005年10月8日(最終運転到着日)
【HM使用期間】2年0か月

客車時代のマークは「ちくま」の文字が丸ゴシック調であったが、特急型車両・383系電車が採用されるとデザインも一新された。横長の表示窓に合うものが新調されたわけだが、このデザインは臨時列車として381系が運用に就いていた時期に使用されたもので、383系に採用されたデザインをベースにして制作されたものと思われる。

空の紫色が内側から照らされてとても美しく感じられた。

急行ちくま号のプチ・ストーリー

◆ 大阪~長野を東海道本線・中央本線・篠ノ井線経由で結んでいた急行列車。この「ちくま」という愛称は「千曲川」のことだと思われがちだが、「筑摩地方」を指すというのが正解のようである。ヘッドマークやテールマークを見ても川は一切描かれていないことからもそう言えそうだ。

1959年12月に準急ちくま号として登場。当初は大阪発が夜行、長野発が昼行という凸凹な設定で、旧型客車による運転だった。20系+12系時代急行ちくま

それから2年弱経過し急行に格上げされたのが1961年10月ダイヤ改正。キハ57形気動車の投入によりスピードアップした。昼夜凸凹設定が解消されたのは1966年3月25日で、めでたく昼行1往復・夜行1往復となった。

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1978年10月(ゴーサントウ)改正では大きな転機が訪れる。中央西線の電化が完了したにもかかわらず気動車のままだった急行ちくまも、それから5年以上を経て165系電車20系寝台+12系客車が投入され、最も華やかな時期を迎えた。10両編成で、うちB寝台車3両は当時の客車急行の中でもなかなかの迫力ある編成だった。しかし、1986年には夜行の1往復のみになり、車両は14系寝台+12系客車を使用する形に改められた。さらに後には14系15形も使用された。

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◆ 特急型電車化!

定期列車としての最終形となったのは1997年10月。特急しなの号との共通運用化で383系を使用するようになったため、当然ながら寝台車両の連結は終了した。編成の長さも寝台3両を含む8両編成から6両に短縮されて寂しくなった。

その後、2003年10月改正で廃止(臨時列車化)。臨時列車の運用に登場したのは381系だった。

この急行ちくま号を利用するのは松本・長野直通の人だけでなく、塩尻駅で下車して上諏訪や茅野・富士見方面への中央東線へと向かう利用者もいた。

筆者もその一人として利用していたが、分岐点となる塩尻駅に到着するのはおよそ午前4時。上諏訪・小淵沢方面への始発列車が出る時間まで長い待ち時間があるため、待合室の暖房をつけて迎えてくれていた当時の印象が深く残っている。

※画像提供:Teru-t2様・KOGANETURBO様ほか

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