特急鳥海・寝台特急鳥海号◆ヘッドマーク&テールマーク事典★ | HM事典新館
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特急鳥海・寝台特急鳥海号◆ヘッドマーク&テールマーク事典★

寝台特急鳥海号テールマーク た行
寝台特急鳥海号テールマーク
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特急鳥海・寝台特急鳥海号のプチ・ストーリー

◆ 上野~青森を結ぶ特急列車として1982年の上越新幹線・大宮開業時に急行から昼行特急列車に格上げされた特急鳥海号。この際のダイヤ改正では愛称の大変動が起きていた。

実質的には特急いなほ号の区間短縮化に伴って、上野直通の列車を1往復存続させるためにこの「特急鳥海」という愛称が採用されたという方が正しいようだ。(上り列車は旧・いなほ4号の筋を継承)その後1985年に臨時特急に格下げして秋田発着に短縮され、その後1988年初頭に一旦運転終了。

しかし後の1990年、今度は寝台特急として再登場し1997年までブルートレインで運転されていた。その間に寝台特急出羽号を統合する形で存続したものの、寝台特急あけぼの号に愛称変更することになり、消滅するという波乱万丈の列車名だった。余談だが、2013年4月27日発でリバイバル運転(ブルートレイン)が行なわれた。

◆485系特急鳥海号のトレインマーク

昼行特急として485系で走っていた当時のイラスト・トレインマークだ。上越新幹線開通時の1982年11月に特急として設定されたため、当時の多くのトレインマークよりちょっと凝った印象があった。特急あずさに見られるような、いかにも図案化したものと違って山が山らしいイラストだと感じた。

ロングラン特急鳥海号のヘッドマーク

ロングラン特急鳥海号のHM

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1982年11月15日
【HM引退】1988年1月5日
【HM使用期間】5年1か月

さて、定期列車としては存在しなかったボンネット型の特急鳥海だが、臨時列車になって最初は秋田持ちに、そして1986年11月からは特急ひたちと共通の勝田持ちとなったことから、ここでボンネット型のヘッドマークが用意された。ただ、極力非貫通形を使用するという方針であったらしく、どのくらいの割合で運用に就いたのかは不明。調査しても勝田での基地公開の写真しか見つからないところからすると実際の運用には結局入らなかった可能性もある。

ボンネット型特急鳥海号のヘッドマーク

ボンネット型特急鳥海号のヘッドマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1986年11月1日(備品準備)
【HM引退】1988年1月5日
【HM使用期間】1年2か月

◆寝台特急鳥海号のヘッド&テールマーク

 

寝台特急鳥海号テールマーク

寝台特急鳥海号テールマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1990年9月1日
【HM引退】1997年3月22日
【HM使用期間】6年6か月

臨時特急鳥海として昼行で運転された最後から約3年後、ブルートレインとなったときのヘッドマークとテールマークがこの2枚。昼行特急時代のデザインをほぼ踏襲している。

寝台特急鳥海ヘッドマーク

(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1990年9月1日
【HM引退】1997年3月22日
(最終運転到着日。その夜からあけぼのに改称。)
【HM使用期間】6年6カ月

機関車に装着される円形HMの方は、テールマークや昼行特急時代のマークと比較すると色合いがいくらか明るめの印象だ。EF64-1000やEF81といった機関車が牽引していたのでそれらとこのヘッドマークの組み合わせが1990年代に見られた。

【特記事項】

数ある寝台特急のヘッドマークの中でもアルファベット表記が無いヘッドマークという点でこのマークは特異な存在だ。ヘッドマークを掲げていたブルートレイン(複合型を除く)ではこの寝台特急鳥海と寝台特急あさかぜの登場当初と九州内の中華鍋型のみがそれに該当する。

◆特急鳥海号のロングラン記録

特急鳥海号・上野駅で1983年

1往復だけ存続した首都圏から新潟県経由青森行きというロングラン特急は、特急白鳥号(大阪~青森)には遠く及ばなかったものの昼行電車特急としてはかなりのレベルの、長距離(772.6km)の列車だった。

新幹線の発展により今後はもう見られないジャンルの列車と言って間違いない。

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