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特急白山号のプチ・ストーリー
◆ 上野~金沢を長野駅経由で結ぶ特急列車として1972年3月から1997年9月まで運転されていたL特急白山号。客車急行時代と比べて約3時間半短縮した6時間半ほどの所要時間になり、489系が新製されて食堂車付きの列車になったことも合わせてまさに「特急」と呼ぶにふさわしい登場だった。食堂車は、一旦1978年に廃止されたのち1982年に復活。しかし1985年に再度廃止されてからはラウンジ&コンビニエンスカーとして利用された。
古くは同じ駅間を上越線経由で走っていた特急はくたか号と姉妹列車の様に呼ばれていたこともある。最盛期には3往復設定されていたが、徐々に削減されたり区間短縮によって特急あさまに編入されたり、最後は1往復のみとなっていた。
「白山」という愛称そのものの歴史はずっと遡って1954年10月1日に始まり、急行白山号としての登場だった。約10時間かけて首都圏と金沢を結んだ客車列車時代は碓氷峠(最大66.7‰)を越えるアプト式機関車ED42を含む、電気機関車と蒸気機関車総勢5両の機関車のリレーで趣味的観点からは非常に楽しい列車だったようだが、一般利用者にとっては少々苦行の様にも思える。急こう配の負担軽減のため食堂車の連結はなかったので、さぞかし峠の釜めしがよく売れたのではないかと、そんな光景を思い浮かべてしまう。余談だが、峠の釜めしの発売は1958年のことである。
◆特急白山号のトレインマーク
イラスト・トレインマークは、石川県と周辺各県にまたがっている“白山”。日本三名山のひとつに含まれる、まさにその名の通りの山のデザインと、クロユリ。描かれる2本の川は犀川と手取川だろうと思われるが確証は得ていない。
(画像をクリックするとHM高画質保管室にリンク)
【HM登場】1979年3月
【HM引退】1997年9月30日
(翌日長野新幹線開業)
【HM使用期間】18年6カ月
ボンネットHMの花の色に注目してもらいたい。多くの目撃情報によると通常知られている「赤紫色の花」の他に「茶系色の花」のHMがあると言われていた。
確かに、資料を探してみるとそのように見受けられるものがあった。これがバリエーションなのか、色素が抜けた色あせなのかはよくわからない。しかしながら、この姿で活躍していたのは事実なのであえてここで紹介させていただくことにした。
◆特急白山号の画像集
上野駅の9番線ホームで停車中の特急白山。長野新幹線が開業する前まではこうした国鉄型車両(塗装は変わっていたが)がまだまだホームをにぎわせていた。つまり、この白山号と、あさま号がここから姿を消した1997年こそ上野駅の一時代の終わりの時だった。
雪が吹雪く中、上野行き(上り)特急白山号が金沢駅のホームに入線してきた。まるで一仕事してきたというような出で立ちではあるが、今から務めに当たる姿。こうした着雪が多いのは北陸の雪の水分が多いためだろうか。撮り鉄マニアにとってはいい被写体になるが、対策をとる側は本当に大変だろうと思う。
ボンネット型の485系・489系も特急白山号を彩ったバリエーションの一つだ。その当時の面影を最後まで感じさせてくれたのが急行能登号だったが、それも2010年に姿を消し、ついにこのタイプの車両が消滅となった。上の段の非貫通型の2枚の写真と同様、白山カラーというバリエーションとの比較で並べてみた。トレインマークの上に三角形の山が描かれているのはイマイチな感じがした。しかしカラーリングのコンビネーションはさわやかで可愛らしい感じで好印象だった。
*** 画像提供:YOMPAQ様・kogane-turbo様・K-office様