特急ビバあいづ号のプチ・ストーリー
◆郡山~会津若松・喜多方の特急として、1993年12月から2002年まで、シルバー系専用塗装を施された485系6両編成を使用して2往復(+臨時1往復)運転された特急ビバあいづ号。磐越西線を走る唯一の特急として長い間細々と走り続けた特急あいづ号からバトンを受けるように新幹線からのリレー特急の役割に徹した。
「ビバ」とは、「快活・活発」という意味合いの英語「vivacity」を短縮したもの。当初インビテーションカーと呼ばれる車両が3号車で、沿線の物産を紹介するなどの特徴ある列車だったが、1998年12月からは再び座席車に戻されて輸送力向上を重視する構成になった。後に一時期「あいづ」に名称が戻され、やがて快速に格下げ、「あいづライナー」となった。
現在の磐越西線では一般形車両に指定席を仕立てた快速あいづ、および観光列車として「フルーティアふくしま」が人気を博している。
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◆特急ビバあいづ号のトレインマーク
短距離特急ビバあいづ号として新たに設定された際、車両塗装が専用のものになった。イラスト・トレインマークも同時に変更となったが、イラストというよりも車体ペインティングに合わせた「模様」と言った方がよさそうだ。2002年まで、シルバーを基調とした専用塗装の車両で運転していたが、愛称を特急あいづ号に戻すことになり、ビバあいづ号の役目を終えた。
1993年12月1日より郡山~会津若松間の、あくまでも特急としてビバあいづ号が運転を開始した。喜多方駅まで延長運転することもあった。トレインマークの上部にSHUTTLE EXPRESSという表示がある通り、まさに「行って帰ってくる短距離の列車」になってしまった。実際、その距離はわずか64.6㎞だった。